うえすぎくんの そういうところ Season.7 青春の内側編 『第102話 寂しくなっちゃった?』
第102話 寂しくなっちゃった?
「香中さん、おはようございます。まだ痛いと思いますけど口から食べるのが回復への一番の近道ですので、頑張って食べましょう」
六時間に一回、点滴の中に痛み止めを入れてもらって気づいたら寝てるっていう状態。喉が痛いくらい気合で何とかなるだろうと思っていたけど、こりゃとんでもない強敵だ。唾を飲み込むのも覚悟を決めてやっているのに、昨日手術したばかりでもう『飯を食え』だと? まだ声も出ないし一晩中強張ってたから体バッキバキだし、この痛みで食べられるのか……
「昨日の夕方くらいだったかしら、女の子がずっと香中さんの手を握って応援していましたよ。お隣にいらっしゃる上杉さんの妹さんだって仰っていましたね。かわいい彼女さんの為にも頑張らなきゃですね!」
そう。痛すぎて眠れず何もできない自分にムカついて、枕に顔を押し付けイライラ最高潮だったあの時、あったかくて優しい手に触れられたんだ。ガキの頃からずっと両親は仕事で家に居なかったし、仲の良かった姉ちゃんも女になるにしたがってオレを遠ざけるようになっていった。熱があるとかハラを壊したとか、そんなのは全て自己責任だと言われて育ってきたし、ここに来たのも自分の意志で痛いのは自分が選択した結果だ。肩をやったときは
「人命救助とは名誉の傷だ、誇りに思う」
なんて言ってたくせに、今回に関しては
「日頃の不摂生だろ、気合が足りん」
後者がオヤジの口癖で、来訪者も姉ちゃんが一回入院手続きとオヤジのパジャマを持ってきたくらいだ。
うすぼんやりしてるけど『独りぼっちじゃないからね』『一緒に頑張ろうね』って言って貰えたのは覚えてる。
ここで踏ん張らなくてどうする? ほとんど米粒の形も無いようなドロドロのお粥とコンソメスープ各カップ一杯ずつを、一時間くらい掛けて腹の中に落とし込む。中でもひと際苦労したのがお粥に混ぜて食べる梅干しがチューブ状になったヤツ、これが喉を内側から突き刺すような超強敵なんだが、それでも栄養のバランスを考えて作ってくれているのだからと気合で食す。朝飯を片方の拳を握りしめながら一時間も掛けて、おまけに汗まみれになって食べるのは生まれて初めてだ。扁桃腺炎で顔の形が変わるくらいパンパンに腫れた時だって、ここまでの痛みじゃなかった。
隣室のりゅうせいがどんな状態なのかも気になるけれど、今のオレには目の前の自分と戦うことで精一杯。なんとか食べ終わったと思ったら、次は蒸しタオルがバケツ三本入った状態で運ばれてきて体を拭き手術着からパジャマに着替えるのだけれど、どうもオヤジのこれは小さいし着心地が悪い。
採血やら血圧やら計った後に巡回している先生に喉を診てもらい、すぐ昼食。またあの地獄を味わうのかなんて弱気になりそうな自分を奮い立たせながらも、また一時間くらい掛けてゆっくりと飲み込む。六時間に一回点滴に入れられる痛み止めなんだけど、体感では一時間くらいしか効いていない感じで、あとの五時間はひたすら我慢するといった状態。意識は朦朧としているのだけれど『痛みで眠れない』というのが本当にキツイ。
体力を振り絞った昼食との格闘を終えてぐったりしていると、ドアをノックする音。声が出ないから答えようが無いのだけれど、入ってこられたのはりゅうせいのお母様だった。
「たくみ君も痛いでしょう、一人でよく頑張っているわね。手術終わったばかりなのに、琥珀がお邪魔してご迷惑だったでしょうに」
せめて姿勢を正そうとした自分の肩にそっと触れて『そのままでいい』と穏やかな表情で言われ、少ししか動かせないものの横に首を振る。
「声も出せないし辛いだろうから要件から先にお話するわね。そのパジャマ、私もたくみ君にはちょっと小さいと思ったから勝手に買って来ちゃった」
それはパジャマというより薄手のスポーツジャージで肌触りもよく、着心地も最高な、結構お値段のするものであることは一目でわかった。
(そんなの頂けない)
そういう意思表示をするも
「だって我が家にはこんなに大きいサイズ着る人が居ないんだもの、だから貰ってちょうだい」
自分のサイズに合ったそれを買ってきてくれただけでなく、目の前でタグや包装など全部取っ払ってくれて、さらに点滴が刺さっているので着替えにくいのをわかって着替えまで手伝ってくれた。サイズ感ピッタリでサラサラ、なんというストレスフリーなのだろう、猛烈に『頑張れる気』しかない。座り直して頭を下げ、今の自分に出来る精一杯の感謝の意を示す。
「いいのよ、気にしないで。学校帰りにまた琥珀がお邪魔すると思うけれど、これでもう笑われなくて済むわね。隣同士の病室で同じ日に手術を受けるなんてとても他人事だとは思えなくて、おばさんの趣味で勝手に買って来ちゃったけれど勘弁してね」
本当にありがたい。ひたすらペコペコと頭を下げるしかできない。
「たくみ君はもうカテーテルも外れているのね。これからも竜星と仲良くしてやってね」
優しく微笑んでお母様は隣の病室に戻られた。
『たくみ君はもうカテーテルも外れているのね』とはどういうことだ?
りゅうせいは他に機械か何かが付いているくらい悪い状況なのか?
再び検温と採血、血圧測定。その後ほどなくしてコハクさんが病室にやってきた。
「たくみん、昨日より元気そうじゃん。あたしの神通力が効いたかな?」
痛みはあんまり変わってないけれど、コハクさんが来てくれたのは嬉しい。
「お、格好いいジャージ着てるね! 誰か来てくれたの?」
声が出ないから答えられないし、申し訳ないけれど自分の意識はそこではなくりゅうせいの容体だ。点滴のポール側に来てくれるよう手招きして根性で体を起こし、彼女に半分寄り掛かりながら立ち上がった。
「ちょ、ちょっとどうしたの? 寂しくなっちゃったの?」
突然の行動に恥ずかしいのを我慢しながら支えてくれている。言われるのも無理はない、点滴の刺さっている左手でポールを掴んではいるものの、右半身は彼女に抱きついている状態だ。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいながら、何とか病室の扉まで辿り着く。
「廊下に出たいの?」
気付いて開けてくれたのはありがたかった。左手はポール、右手は廊下に沿って付けられている手すりに持ち替えて歩き出す。
(隣の病室に行くだけなのに、これじゃまるで大冒険だな)
背中に彼女の温もりを感じながら七〇五前に辿り着き、両足を踏ん張ってコンコン。
「はい、どうぞ」
先ほどジャージに着替えさせてくれた優しい声が聞こえたのと同時に開けられた扉の向こう。そこに横たわっていたのは、腰辺りからベッドの下まで続いている薄黄色い管と酸素マスクから伸びて壁のコネクターに刺さっている管、そしてオレよりはるかに多い点滴に繋がれて力なく横たわっている親友の姿だった。
(腰辺りから出ているのは恐らく尿道用、何より酸素マスクにぐったり姿って意識が無いってことか?)
コハクさんの肩を借りながら半歩ずつゆっくりベッドに近づく。隣には扉を開けてくれたお母様と姫嶋さんが座っており、よく見たら点滴をしている手の人差し指に洗濯ばさみの親玉みたいなのが着けられていた。
同じ手術のはずなのに、こうも違うってどういうことだ?
しばらく立ち尽くして呆然としている間に、姫嶋さんがスケッチブックに細かく説明を書いてくれた。
『たくみ君に回復が見られて安心しました、ジャージ似合ってます! りゅうくんは扁桃腺切除と同時に喉の上側にあるアデノイドという部位も取り除いたので傷が大きく、出血がある程度治まってくるまで気管支に管が入って呼吸をしています。尿道にも管がついているのは自分でおトイレに行けない状態だからだと思う。手術室から出てきて『息が苦しい』って筆談できたから意識不明ではないので安心してください。時間の経過とともにたくみ君と同じ状態になると思います。 柚子葉』
……姫嶋さん、耳は聞こえるので喋ってもらって大丈夫だから。
重度のうつ病を経験し、立ち直った今発信できることがあります。サポートして戴けましたら子供達の育成に使わせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。