うえすぎくんの そういうところ Season.8 本当の優しさ編 『第105話 どっちが好き?』
第105話 どっちが好き?
つむじ風のような彼女を見送りながら彼の食べ終わった容器を膝の上に置いて、自分のペースを維持しながらモグモグ。
「なんか、迷惑掛けちゃってゴメン……」
伏し目がちに地面を見つめてボソッっと呟く。
「迷惑だなんて思ってないし、彼女だってそんなこと思ってたらあそこまで言わないよ。たくみってさ、普段堂々としているのになんでそんなに卑屈なものの言い方するのさ? 友達なんだから迷惑とかそういうの止めようよ。それで、香中家では何があったの?」
「あんまり聞いて面白い話でもないけれど……」
「面白いとか面白くないじゃなくて、今の君を構成する要素だから知っておきたいんだ。手術で入院しているのに家族が誰も来ないなんて、ちょっと考えられない異常事態なんだよ?」
「誰にも話したことないんだけど、りゅうせいにならいいか」
大きなため息とともにボツボツと小さな声で話し始める。
「両親が警察官っていうのは知ってるよな。共働きだからっていうんじゃなくてさ、オヤジは大の女好きなんだ」
何と言っていのかわからないし、彼が発した言葉の意味も全く理解できない。口を動かしながらその顔を見つめることしかできない。
「女好きっていっても『女癖』の方じゃなくて『女の子が好き』なんだ。いや違うな、これでも語弊がある。なんて言ったらわかってもらえるかな。『姉ちゃんと息子じゃなくて娘二人が良かった』って言えばわかるか?姉ちゃんは女だから生まれた時から喜んでずっとかわいがっていたらしいんだけど、オレは男だからよくわかんねえけどずっと邪魔者扱いされているって感じだ」
「同じ我が子なのになんでそんなに扱いが違うの?」
「オレにもわかんねえよ。姉ちゃんは幼稚園に通っていたけど、オレは行かせてもらえなくて、ずっと女の子の格好して婆ちゃん家に放り込まれてた。小学生になって『なんか違うな』って男児になった途端、オヤジもお袋もほとんど自分と口を利かなくなったんだ。辛うじて姉ちゃんだけは遊んでくれたけど、それも彼女が女になるにしたがって無くなっていった。要約すると、オレは香中家に生まれてきちゃいけない人間だったってことさ」
箸も咀嚼する口も全てが止まった。子どもの口から『生まれてきちゃいけない人間』なんて言わせてしまう家庭環境って歪すぎる。それでも現実にそんな思いをずっと抱いて生きてきたのだから、家族の形としてお見舞いに誰も現れないのも頷ける話だ。
「じゃあ、この学校のスポーツ特待生も学費を負担させないため?」
「ああ、そうだ。姉ちゃんはともかく、オレの場合は『義務教育が終わったんだからこれ以上学校に行かせる意味が無い。働いて家を出ろ』ってな。実際、家庭環境は無茶苦茶だと思うよ。だからこそ柔道でも成績でも成果を出して見返してやらなきゃ生きている意味が無い、というより生きている意味を知らしめてやらないといけないって反骨精神で考えてる。全国大会に出て大学は法学部に行って司法試験資格取って、アイツらを見降ろしてやる。りゅうせいは特別なダチだけれど、わかってもらおうとは思ってないよ」
あまりにも深く凄惨な現実に言葉が出てこないけれど、この学校で唯一の親友として僕なりに短時間で深く思慮した。
「コハクちゃんに似てるね」
「は? なんでコハクさんなんだ?」
「彼女はさ、中学最後まで男子生徒として生きてくるしかなくて、最後のバドミントン大会も男子生徒として僕と戦った。お父さんと二人暮らしだったんだけれど途中から帰ってこなくなったらしくてずっと独りぼっちで生活していたんだって。バド部顧問が事情を汲んでくれて、彼女が今後当たり前に女子高生として生活できるためにスポーツ特待生としてこの学校に呼んだんだよ。コハクちゃんに初めて会った時は男子学生服を着た男の子だったんだけれど、ウチの母さんが『これからは堂々と女の子として生きていいの、それに女の子がひとりぼっちで暮らしているなんておかしい。だから我が家にいらっしゃい』っていう流れでいま一緒に住んでる。たくみには現在の彼女が普通の女子高生に見えると思うけれど、ここに至るまでにもの凄い葛藤があったのを見てきたから、自分の中だけでモヤモヤしてないで話をしてみたらどうかな」
「そんなことが……わかった。彼女と話してみるよ」
こうして波乱のお弁当タイムは終了した。結局のところ僕たちはたくみを何もわかっていなかったし、彼はコハクちゃんのことを何も知らなかった。ただ一つ可能性があるとするならば、当事者同士ならば分かり合えるのではないかという点だ。
この夜、稽古から帰ってきた彼女にお弁当箱を洗いながらそれとなく話を振ってみたけれど、それらしい会話はなかったと聞いた。
「たくみんから話し? 今日のお弁当についてお礼を言われたのと『明日からよろしくお願いします』って言われたくらいかな。それより兄ちゃん。あれから授業中も珍しく上の空だったけど、あたしが弁当届けてから何か揉め事あった?」
「揉め事じゃないんだけれど、実は……」
彼から聞いた話を伝え、たくみを呪縛から解放させてあげたい旨を切々と訴えた。
「ふーむ、なんだそりゃ。そんなの家に居たってちっとも居心地よくないし、心が壊れちゃうよ。兄ちゃんの熱い気持ちはよく分かった、あとはコハクちゃんに任せてちょうだいな」
いつものおちゃらけたスキンシップとは違い、正面からギューと慈しむように抱きしめられる。自分の過去をほじくり返すだけでも辛いだろうに、僕らの為にひと肌脱いでくれようとしている妹がたまらなく愛おしい。背中に回した手で頭を撫でながらつぶやく。
「ありがとう。コハクちゃん大好きだよ」
「兄ちゃんに言って貰えると素直に嬉しいな、あたしも大好きだよ」
しばらくお互いの温もりを感じ合う時間が続いた。
「ねえ、兄ちゃん」
「ん?」
「ユヅハとあたし、どっちが好き?」
耳元で囁かれて動きが固まったのと同時に、以前彼女から言われた『りゅうくんは普通にそういうことを言っちゃうから、女の子は勘違いしちゃうよ』っていう言葉が頭の中を駆け巡る。
「あはは! 兄ちゃんはわかりやすいなあ、冗談だよ。あたしは兄ちゃんを誰にも渡したくないくらい大好きだ。でもユヅハだけは別格、彼女になら兄ちゃんをあげてもいいって思ってるよ」
「ぽふぅー」
無意識に止めてしまっていた呼吸に気付き、大きく息をする。彼女が女の子でこんなに良い香りがすることも、あまりに驚いて忘れていた。
「あたしが頑張ってたくみんを立ち直らせることができたらさ、ご褒美にチューして!」
またしても呼吸が止まる。
「いや、あの。そういうことは本当に好きな男性が出来た時にするものであってだね……一つ屋根の下に住む健全な兄妹がしちゃいけないっていうか……」
「えー。同じもの食べてるんだし、兄妹だったら別にチューくらいしたって問題ないじゃん。それとも、あたしとはチューしたくないっていうの?」
「いや、そうじゃなくてだね……そんなに兄ちゃんをからかっては……」
「からかってないよ?」
くっついていた二人の間に少し隙間を作り、真剣な眼差しで少し上目遣いにこちらを見つめている。
「この間たくみんの病室にお見舞いに行った時に『ガンバレ』ってホッペにチュってしてあげたんだよ。その時に『初めてのチューはやっぱり兄ちゃんがいい』って本気で思ったの。だから西山の最後を締めくくる意味でも頑張るから、兄ちゃんにチューしてほしい」
これは大真面目な空気だ。
もう、思考がとてもじゃないけれど追いつかない。
「うん」
彼女の圧に押されて思わず肯定的な返事をしてしまった。
「よし、言いたいこと言った! じゃあシャワー浴びてくるねー」
妹が浴びているシャワーの音を確認して受話器を上げる。
「はい、姫嶋でございます」
おばさまかと思ったら、僕の大好きなかわいらしい声だ。イジメられている時もバレンタインの時も、助けてくれた彼女にどうしたらいいのか教えて欲しくて慌てて電話を掛けた。
重度のうつ病を経験し、立ち直った今発信できることがあります。サポートして戴けましたら子供達の育成に使わせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。