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うえすぎくんの そういうところ Season.7 青春の内側編 『第103話 この瞬間だけ』

第103話 この瞬間だけ


「病室が隣とはいえ、そんなに辛い状態なのに来てくれたのね。見ての通り竜星はたくみ君とは手術が少し違うから、何となく痛々しいでしょ? 柚子葉ちゃんが説明してくれたように喉の出血がある程度治まったら食事も始まるし、その時にたくみ君がまだお隣に居たらこの子の方から会いに行けると思うわ。深刻な状態ではないから安心して頂戴ね」

お母様はこう言われたものの、見る限り集中治療室に居てもおかしくないくらいの状況。これを毎日見ている姫嶋さんやコハクさんはどれだけ心を痛めているだろうか。

「ほら、たくみん。そういうことだから安心して。まだ二日目なんだし、自分も安静にしなきゃだからお部屋戻ろ」

訊きたいこと、伝えたいことは多々あるけれど如何せん声が出ないので、彼女に寄りかかるような状態で深々と頭を下げ、部屋に戻る。入り口から入ってベッドの向こう側にあるべき点滴ポールを所定の位置に置き、ベッドに座ろうと体重移動をしたところ、彼女が点滴ポールに引っ掛かって一緒についてきた。

「わっ!」

支えてもらっていたので首の後ろに彼女の腕がある状態で、顔が目の前にある。何ともない状態であれば自分が支えて態勢を立て直させるところだけれど、左手は点滴で動かせないし右手は自分の体の下で、傍から見たら自分が押し倒されているような状況。

甘くいい香りに頭がクラクラしているのと、こんな経験したこと無いから思考が全く追い付かない。

「たくみん」

耳元で囁かれて反射的にギュッと目を瞑る。頬に柔らかい感触を残して優しい香りは遠のいた。

「いまのあたしにはこれが精一杯。元気に退院したらいっぱいハグしてあげるから頑張ろうね」

ゆっくり目を開けた先にはニコニコしながらも少し恥ずかしそうなコハクさんの姿。

こちらも笑顔でピースサインを作り、彼女の頭をそっと撫でているところに

「香中さん、お食事です……あら、お邪魔だったかしら?」

自室に戻ってきてカーテンも扉も開けっ放しだったから、ノックも無しでお世話になっている看護師さんがいらっしゃっても仕方がない。そもそもこちらが文句を言える立場ではないし、首を横に振りながら縦に振る挙動不審な自分を見て笑っている。

「昨日はずっと手を握ってもらえてよかったわねー。今日はあーんって食べさせてもらうのかしら? 香中さんって甘えん坊さんなのね」

リアクションの一つも取れずにテーブルに置かれた流動食を見つめていると、スプーンに半分くらい乗ったお粥が口元まで運ばれてくる。

「いいよ、元気になってくれるのならあたしも一肌脱ごうじゃないの。たくみん、はい。あーん!」

病室に一人、廊下に二人。いつの間にか増えた看護師さん達に見守られながら、テレッテレで燕のヒナみたいに小さく口を開ける。

「そんな小さな口じゃスプーンから零れちゃうでしょ! ほらー、もっと大きく口あけて」

照れ隠しなのか、オーバーリアクション気味なコハクさんに

「上杉さん。香中さんは手術の傷が痛むから、あんまり口を開けられないの。すごく少なく見えるけれど、一時間くらい掛けて飲み込まないと辛いのよ」

室内の看護師さん。

「上杉さんが食べさせてくれるのだから、香中さんも頑張らないとね」

廊下の看護師さん。

三人揃って口元に手を当てて『ふふふ』と笑いながら次の病室へと去っていった。視線をスプーンに戻すと小刻みに震えており、その付け根に目をやると手どころか体中が震えている。下唇をキュッと噛み、瞳からポロポロと涙を溢している想いの真意が自分にはわからなかった。それは恥ずかしかったからなのか、はたまたその他の感情か。

「初めて『上杉さん』って呼んでもらえた……」

りゅうせいと一緒に住む流れになり、いつの間にか彼を兄ちゃんと呼ぶようになり。そうこうしている内に気付いたら柔道着を着ていてオレより強くて、一緒に二階から姫嶋さんの家に侵入したりして。

(自分はコハクさんのことを何も知らない)

物理的に何も言ってあげられないし、本人が望んでいなければひっぱたかれるかもしれない。でも……

片手でコハクさんの頭を胸に抱き寄せた。気丈な彼女が涙を流している姿を他の人間に見られたくなかったというのもあるけれど今、この瞬間だけ。

願うならば自分の胸で泣かせてあげたかった。

甚だ傲慢で一方的なこの想いは拒絶されることなく、数分間の幸せ。

「ごめん、兄ちゃんや母ちゃんと呼べる人が出来たのにどこに行っても『西山さん』でさ。法律とかよくわかんないけれど身寄りのないあたしにとって『上杉さん』って呼んでもらえたのは特別に嬉しいんだよね」

(こんな場所で良かったらいつでも泣いてくれていい)

自分の胸に手を当てて、寂しそうに顔を上げた彼女に向かって精一杯の想いをジェスチャーで伝える。これを見て数秒間不思議そうに首をかしげていたが、

「うん、ありがとう。あたしが香中さんって呼ばれるようになるように、頑張って回復して超えてくれると信じてる」

(うん、目先の大きな目標であるコハクさんに常勝出来るように頑張るつもりだ。それにしても言い間違い? コハクさんは『上杉さん』と周りから呼ばれたいのではないのか?)

このあと昨夜と同じ『お粥に混ぜて食べる梅干しがチューブ状になったヤツ』を混ぜてもらって少しずつ、時間を掛けてゆっくりと気合で食べ進めていった。

「はーい、完食。よくがんばりました!」

あまりみっともない姿を見せたくないという思いで頑張ったので、一人で食べるより肉体的にはかなり疲れた。でもコハクさんに食べさせてもらい、何より側に居てくれたことで精神的にはものすごく力になったのは事実。

その後二人が帰ってからお母様が来室され『たった今、りゅうせいは点滴以外の管が全部外れた』と教えて頂いた。当たり前に過ごしてきた健康的日常の面影が脳裏をよぎり、思わず視界がぼやけてしまうほど嬉しかった。意識もしっかりしていて手術初日の自分と同等であると聞いて

(声が聞きたい、固く握手を交わしたい)

男同士なのにこんな感情を抱く自分は暑苦しいだろうか。手術中はもちろん記憶にないけれど、自分とは違うあまりにも違う術後の様子に愕然としたし、コハクさんにも言ってないけれど舌を挟んで引っ張り出しながらの施術だったのだろう。至る所に傷やら口内炎やら沢山出来ていて、この痛みも嚥下のみならず食事に於いても尋常ではない苦痛。

それでもだ。痛みを感じられるのとあんな状態で寝ているのとでは全く意味合いが異なり、頭の中では互いに病室を行き来しながら患者としての検討を称え合っている絵しか浮かばない。

(一刻も早く隣室に駆け付けたいけれど、誰かの力を借りなければならないようでは不甲斐なし!)

点滴ポールに捕まってスクワットをしているところを看護師さんに見つかり

「何やってるんですか! 血液が逆流するからやめてください!」

こっぴどく叱られ、スゴスゴとベッドに潜り込んだ。

#創作大賞2024#漫画原作部門





重度のうつ病を経験し、立ち直った今発信できることがあります。サポートして戴けましたら子供達の育成に使わせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。