めんどくさがりは物事の本質を見極める力がある
めんどくさがり。これが一番厄介な私の本質。
今回は、めんどくさがりな自分との戦い、から
めんどくさがりな自分と共闘する、つまり自分の武器とする考え方へのシフトを目指す。
だって自分を変えることは難しいし、結局継続できずに自分を責めるのはウンザリだ。ありのままを自分の強みとして捉えられるなら、素敵やん。
そこで私が訴えたいのはこれ。
めんどくさがりは物事の本質を見極める力がある。
ポジティブ過ぎるかもしれないが、めんどくさがりには、物事の本質を見極める力がある。そしてやる必要がない、もしくはまだやる必要がないと気づいてしまうと途端に面倒に感じてしまう。本当に必要と感じているなら、必要に駆られてやるはずである。つまり、面倒に感じていることは、実はやらなくてもいいことかもしれない。(周りの人で、面倒と感じずに何でも取り組めるがゆえに、不必要な頑張りをしてしまっている人はいないだろうか?)
そこで、めんどくさがりを受け入れて、やらずに済ませる方法を考えよう。
例えば、洗濯物を畳むのが面倒だとしよう。まずは面倒と感じていることを自覚する。でもそんな自分を受け入れてあげよう。面倒と感じるのは何も悪いことではない。面倒だと感じるところにはヒントがあるかもしれないと思おう。
次に、そもそも本当に畳む必要があるだろうか?畳まずに済む方法はないだろうか?と考えてみよう。すぐ使うタオルや下着は畳む必要はないかも?ハンガーにかけたままクローゼットにしまえば畳む必要はないかも?そう思えたら、畳まずに突っ込むためのバスケットを用意するのはどうだろう?外干しとクローゼット使用を兼用できるハンガーに変えてみるのはどうだろう?
もしお客さんが来ることになったら、畳まずに突っ込んだタオルや下着をそのときだけは自ずと畳むのではないだろうか。それが唯一畳まなければならないタイミングだ。
面倒なことはやらないと決める。やらなければならないのにできていない、ではなく、やらないと決めたからやらない、に変えよう。そうすれば、やっていない事実に自信をもてる。
めんどくさがりには、やらなくていいことを見つける力があるはずだ。