タレナガシ2
年の瀬ってなんぞやと思い調べてみたら『瀬』は川の流れの早い浅瀬を指していて、川底の岩によって水が入り乱れながら早い流れを生んでる状態を年を跨ぐ期間の目まぐるしさになぞらえてんだって。オシャ〜
僕は瀬で溺れてたんですね。時間の流れを川の流れに例えるのは日本人らしい気がするなぁ。わびさび〜
溺れてた(鬱だった)理由について考えながらM1グランプリみてたらなんか染みるものがあって、この情動を単に『歳をとった』で片付けてはいけない気がして、よくよく思い返してみたときに10代から20代前半までは何かに収まろうとする言葉を僕は嫌う傾向にあった。
「落ち着く」とか「しょうがない」とか「普通」だの「就職」、あと「結婚」。
自分の可能性を信じてロックに目覚める、なんていうどうしょうもないくらい「普通」の中に収まりながら、井の中の蛙的に空の青さを眺めていた。
そして自分が「ただの蛙じゃん、ウケる」と気づいてからは井の中の居心地がだんだん良くなったり、新しい発見をするようになると、「普通ってめっちゃよくね」と手のひら返してみたり。
だけどそのセリフそのものが一種の反骨手段であることには変わりなく、結局ぶち当たる『何かを諦めたくない自分』。(いまここ)
「10代の頃に手に入らなかったものを人は一生追い求める」理論を軸にすると、僕はチーム力を養い切磋琢磨しながら結果を残す的なことを全然体験してないし、今も心の奥底で求める気持ちが消化しきれていない気がする。
自分なりに納得できる範囲でその景色を作り、こいつをどうにか消化していくまでたびたび溺れながら、ある意味諦めながら、進んでいくしかないんだろうなぁ。などと
🤲