見出し画像

僕らは筆を持った魚

生活はめんどくさいことで溢れている。息を吸って吐くだけで誰かの負担になるし、他人のためにやった事も報われるとは限らなければ、自分のためだけに生きても満たされない。だからって死ぬのも色々めんどくさいし、なにもしなくても腹は減って、食い物を調達するのに働かなきゃいけない。とてつもなく理不尽で、考えれば考えるほどめんどくさい。そうでしょう。

だけれどこんなクソゲーにも希望はあって、ワクワクすることや笑える事、ハッピーだったりたまに報われる事なんかの、「やってやっても良いか」と思えるような、クソゲーなりのゲーム性が無いわけでもないでしょう。

だけれどその希望が今度は夢というかたちで嘘をつきながら近寄ってきてさ、めんどくささを忘れさせてくれる構造を釣り針にくくらせて、そこら中につるされているんだよね。

釣り上げられた先には全く別の世界が広がっていると僕らは信じてしまいがちなんだ。

「結婚したい」とか「企業したい」とか「死にたい」とか全部、このきゅうくつな水槽から別の場所にいきたいと思う気持ちの現れなんだ。

だけどたいてい、行く先はどこも似たような水槽だと思う。

構造をみるんだ

群れを形成するメジナを水槽で飼うとメジナ同士でイジメが起きるんだって。いじめられてるやつを別の水槽に移してもまた別のやつがいじめられて、いじめっ子を追い出してもまた新たないじめっ子が生まれるんだって。広い海では起こらないことらしい。

これがシンプルに密度の問題でもなく、熱帯魚では広い水槽に違う種類の魚を3〜5匹くらいで飼うとイジメが起きやすいんだって。
だから対処法として多様性と数を増やしたりするみたい。あとは水槽のなかに隠れる場所をたくさん作ったり、餌を増やしたり、清潔に保ったりすると良いんだって。人間とほとんど同じじゃんね。どっかのスラムの話かよ。

だけど僕らは少しばかり大きな脳みそをもって生まれたから、構造に手を伸ばせるんだよ。それが見えるから。メジナにはきっとそれが見えない。
だから僕らは選べるんだよ。移動するか、我慢するか、工夫するか。つねに選んでいるんだよね。それがいい事なのか悪いことなのかは分からないけど。

理不尽を飼いならす

例えば僕らがまだ幼い時、手で物を食べてたと思うんだ。だけど大人は箸を使わせようとするじゃない。これって理不尽な事だと思わん?手で食べたって良いじゃない。なんでダメなん?挙句の果てに持ち方まで指定してきてきやがる。手を綺麗に洗って人差し指と親指で優雅につまんで食べちゃだめなの??それ、めんどくさくない???

だけれど大人になれば箸を使うことに疑問を覚える人は少ないと思うんだ。使ってみればそれなりに便利だし、社会は箸を使うために作られているし、扱い慣れると精神的負担もほとんどなくなる。箸を扱うめんどくささより、扱わないことで起きるめんどくささの方が上回る。

税金とか、マナーとか、労働とか全部、大人が仕方なくやってる事は全部、箸の扱いに似ている気がするんだ。多くはそのうち扱いがわかってくる。どうしても箸が扱えなければ、アフリカに行って手で食事をすることもできる。箸を扱えないことでいじめてくる魚がいない水槽だって、いっぱいある。同じ水槽で暮らしちゃいけない種族はどうしても存在するし、それは仕方ないことだから、ガラス越しにお互いを変なもの扱いして眺めてればいいと思うよ。水族館みたいにね。ダイバーシティって多分、そんな感じじゃない?

我慢もいいけど、移動も大事だし、やっぱり工夫。でも適当。

工夫することも、移動することもあまり簡単じゃないから、僕らはすぐに我慢しようとする。我慢していれば、そのうち飼い慣らせる理不尽もあるから。たまにいい事もあるしね。飼い慣らしたことで物量をこなしていれば、何となく生活していける。だけどいちばん恐ろしいのは、こなれた生活の行き渡った我慢の中で生まれる『飽き』だと思うんだ。『飽き』は見ているものをモノクロにするし、すごく疲れてしまう。そもそも全部めんどくさいことだって思い出してしまう。だけど生活は続くから、怒ってしまうんだよ。それが悲しいから。悲しんでいるから、他のメジナをいじめてしまうんだよ。

たいてい、足りてないのは工夫だから、そのモノクロからもっと別の色を探して、気に食わなければ塗り替えてしまおうよ。気分が悪くなる色は大体にごっているから、わかりやすい原色を塗ればみんな納得するよ。隠れ場所を作ったり、エサを増やすみたいにさ。

たまには他の水槽もみてみよう。そこではきっと、自分の知らない色が使われているから、それを探してみよう。工夫に役立つかもしれないしね。その色にどうしても魅了されてしまったら、飛び込んでしまってもいいと思うよ。転職?すればええやん。感性がそう叫ぶなら。

我慢だって大事だよ。自分の嫌いな色がひとつもない水槽なんて、多分どこにもないから。嫌いなものを我慢することに慣れて、その色がどうして存在するのかを知れば、「わざわざ選ばないけど嫌いでもない」くらいにできる力が我慢にはあると思うんだよね。僕は最近梅干しを食べれるようになった。むしろその効用を知ったとき、わざわざ選ぶものになってしまった。

我慢ばかりしても悲しくなるし、移動ばかりしても何も残らないし、工夫ばかりしても孤独になるし、どこにかたよってもどうせ飽きてしまうから、適当にやろう。思いのままに色を塗ろう。その果てに出来上がったあんたの水槽の色を見せて。僕はそれを見てそのヘンテコさに多分笑うし、俺のも笑ってくれていいからさ。

🤲