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「気にしないことは強さだ」by 10代の自分

今日は少し私の根本的な考え方を書いてみようと思う。

最近、世の中がかなりの勢いで排他的になって来た気がする。

昭和生まれなので当たり前なのだが、令和の価値観というのはかなり違和感があり、「そこ、どうでも良くない?」と思うような議論を目にすらことが増えた。

著名人などでモロに昔の人っぽいことを言うと「考え方がアップデートできていない」などと言われ、すぐ非難の対象になる。

もちろん不用意な発言で人を傷つけるのは良くないが、私に言わせればアップデートしない自由もあるのだ。現に私のスマホやPCなどは最新のソフトではない。それでも不自由しないし、むしろ余計なものがない方が使いやすいこともあるので、あえてそうしている。

単に、異質なものを許容できるかどうかの問題なのだ。

私は、今でこそADHDなんて言葉があるが、幼少期はただの困った子供で、世間から見れば異質な存在だったと思う。逆に私からすれば世間の全てが異質な人々だった。(今もそうだ)

だから、異様だなと感じる世界で生きるのが普通だし、それをいちいち口にしない。そもそも人間なんてみんなアホだから、お互いを理解することなんかできないと思っている。

じゃあどうしたらいいか?

ほっとくのである。

自分に害がない限り、例え敵でも理解できない考え方の人でも放っておく。私は異文化の人に抵抗がないのだが、多分これは別に全て理解する必要なんかないと思っているからだ。こういう距離感は特に都市生活をする上では特に重要だと思う。

今思いついたので書くが、ネット社会というのは「擬似的都市生活」ではないか。

本来交わらないような人たちが否が応でもお互いの存在を露出しあい、ニュースなんか見ると、何かそこに意見しなきゃいけないような気になる。そうじゃないと自分が社会の一員じゃないような気がしてくる。

はっきり言って、別に自分が興味がないものには意見なんか持たなくてもいいのだ。そんなことしてたら人生には時間がなさすぎる。

情報過多の時代は、捨てるコミュニケーションが大切になると思う。別に政治経済に関心がなくてもいい。関心のない人間に無理に勉強しろとは思わないし、付け焼き刃の知識で変な政党に投票するくらいなら選挙なんか行かなくてもいいと思う。

犯罪をせずに税金を納めてればそれだけでかなり立派な人間だと思う。不正受給とかでなければ生活保護でも全然いい。それこそ犯罪者だって生きていればどこかで誰かの役に立つことだってあるはずだ。

とにかく、他人に冷たい社会になりそうな気がして気がかりだ。その辺でわめいている変な人でも、アホなことばっか考えてる人でも、温かい目で見守れる社会がいいなと思う。

そしてそれをどうでもいいと思える自由も。

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