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これで分かる(?)ハワイ発ヒーリングメソッド「ホ・オポノポノ」解説⑥  一体何をクリーニングするのか?

 さて、これまで時間を割いてホ・オポノポノを使いこなすには境界線(バウンダリー)を引く能力が大事だよという話をしてきました。

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 それを踏まえたうえでここからが実践編となります。まず、引っかかりがちなのはクリーニングといっても何を・何に対してクリーニングするべきなのか分からないというものです。「自分のウニヒピリに対してさ!」と言われるのですが、ウニヒピリなんてよく分からないし、感じたこともないかつての自分としてはかなり困ったものでした。

 少なくともホ・オポノポノ公式が出版した本では、あまりその辺が書かれていないというか、とにかく4つの言葉を言っとけorブルーソーラーウォーター飲んどけという結論に終始している印象があります。

 そして疑問を持とうなら、「その疑問もクリーニングだ」などと言われてしまう有様なので、困っている人も多いのではないでしょうか?そんなかつての私のような人に向けた記事となります。

 そして、ここでカミングアウトさせてもらいますが、よく本にはウニヒピリ(インナーチャイルド)がイメージの中で出てきて、その子をお世話しているという体験談などが載っているのですが、実は私は恥ずかしながらこの感覚を一度も未だに持ったことがありません(苦笑)。ただそんな私でも今ではある程度使いこなせているので、必ずしもウニヒピリを完全に理解する必要は無いと思っています。

 読者の中にはウニヒピリとの交流が大事だと思い込んで一生懸命コミュニケーションを取ろうとするも、なかなか取れぬまま泥沼に入る人もおりますので、今回はウニヒピリという概念を採用せぬまま、クリーニングとは何ぞやということを説明していきたいと思います。

一体何をクリーニングすべきなのか?

 まず結論から述べると、クリーニングするのは何か出来事に出会った時の自分の感情です。出来事そのものや他人をクリーニングしようとする人がいますが、基本的には自分の感情やそれに伴う思考やジャッジメントなどをクリーニングしてください。

 起こった出来事は一つでも、それによって湧き上がる感情や思考は実は人それぞれです。境界線を引くことが出来ると、自他の区別がつくので、人それぞれ感じ方が違うというごく当たり前の事実を受け入れることが出来るのですが、そうではないと中々それが理解できません。

 ですので、基本的なやり方としては自分の沸き上がった感情やジャッジメントに4つの言葉(ありがとう・ごめんなさい・許してください・愛しています)を掛けていきましょう。

4つの言葉の意義とは?

 さて、対象を自分の感情・ジャッジメントとしてそこに4つの言葉を掛けるというのは理解頂けたと思うのですが、難しいのはここからです。

 私自身長らく4つの言葉を自分の感情にかけてきたのですが、なかなかすっきりした感じが無いといいますか、手ごたえがない状態を過ごしてきました。

 しかし、その停滞状態を打ち破るブレイクスルーとなった出来事があります。自分の記事で僭越ではありますが、紹介させて頂きます。

 内容を簡単に紹介すると、会社で支給されたPHSに毎日のように不動産飛び込み営業テレアポが掛かってきて迷惑していたという話です。それまでは単に面倒くさいだけだったのですが、ある日のこと、いつもの営業と違う初めて聞く男の声で「○○株式会社の△△さんのお電話で間違いないでしょうか?」と、自分のPHSの番号と所属や名前が全く知らない人間に紐づけられていることを知り、大変な恐怖を覚えます。

 最終的に天啓とも呼べる気づきがあり、今自分が感じている恐怖は、昔自分が対人関係の距離感がおかしく、特に女性に対して味わわせていた恐怖が自分に返ってきているのだということに気が付きました。そうすると自然に当時の関係者に自然と悔悟と謝罪の気持ちが湧いて、しばらく呆然となっていたのです。

 そして面白いのがここからで、その気づきがあった日から不動産営業のテレアポがほとんどかかって来なくなり、問題から解放されたのです。

 この経験から、自分が感じている感情というのは自分のものでは無く、自分がかつて誰かに与えた感情が、因果応報的に返ってきているだけなのだということに気づいたのです。

 この辺の因果応報という話は耳にタコが出来るほど聞いたことがあるよという人がほとんどだと思うのですが、私が強調したいのは因果応報の部分ではなく、今自分が感じている感情や思考・ジャッジメントが実はかつての誰かのものであった、すなわちその感情は自分のものでは無いということなのです。つまり、感情と自己の間に境界線を引き、同一化しなくなるということです。

 ここに気づくと感情の手放し(=クリーニング)が容易になるのです。なぜなら、一度「自分のモノ」と認識してしまうと、それが自分にとって有害なものであろうと手放すときに自分の一部が切り離されるような感覚を伴ってしまうので、手放すのが難しくなるのですが、自分のものではないとなると手放しが圧倒的に簡単になるからです。

 ですので、「ごめんなさい・許してください・愛しています・ありがとう」の4つの言葉の意味というのは、前半二つはかつて(過去生や先祖の分も含む)の自分の誤った行動によって周囲に生じさせたものを謝罪するものであり、後半二つは今自分が感じている感情をまるで他人が感じているかのように寄り添いなだめてあげるためにあるのです。

 よく、愛しています・ありがとうの言葉の波動が高いから、クリーニングが起きてうんぬん・・・という解説をする人が見受けられますが、そうではありません。4つの言葉そのものに力があるのではなく、4つの言葉を通して沸き上がってきた感情と自己との同一化を防ぎ、手放しやすくするためにあるのです。

 その証拠に私はかつて起きている間は念仏のようにありがとうと唱えていた時代が1年近くあったのですが、1mmも効果がありませんでした(そんな人実は多いのではないでしょうか?)。もしありがとうに高い波動がというのであれば、とっくの昔に効果が出ていたはずです。言葉そのものに効果があるのではなく、言葉によって同一化を防ぐことが目的なのです。振り返れば、当時の私は境界線もクソもないような人間でしたので、ありがとうの念仏がただ意識を上滑りしていただけなのでしょう。効果が出ないのも頷けます。

 さて、今回の記事はここまでです。次回の記事は、ごめんなさいの使い方・抵抗感についての解説です。

 実は今回解説した謝罪について強く反感を持つ方も多いと思います。色んなホ・オポノポノ実践ブログを見ると大半は「ごめんなさい」は罪悪感を強調するから要らないとか、ヒューレン博士も「ごめんなさいは無くてもよい、愛しているだけで4つの言葉の代用になる」という言葉も残しています。何より、ホ・オポノポノ公式では謝罪は自分のウニヒピリにするもので、他人にするものでは無いというような記事もあったりします。

 なぜこのように見解が異なるのかについて、次回は自分なりの解説をしていこうと思いますので、お楽しみに。

 


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