浅はかなミニマリストにはなりたくない
ミニマリストという言葉が流行り出したのはここ数年の話。僕はこの言葉が流行る前から、ミニマリストの傾向があった。
子供の頃から綺麗好きで几帳面だった。それもかなり重度の。リビングに散乱しているリモコンを大きい順に並べたり、少しの汚れを見つけて掃除を始めると、気がつけば何時間も掃除してしまうことも多々あった。
今でも掃除は大好きだ。だんだん綺麗になっていく様子を見ると、こっちまで気分が爽快になってくる。YouTubeでも包丁や硬貨などの錆を落とす動画などが好きで、何時間でも見ていられる。
そんな掃除好きが講じて、次第に掃除がしやすい部屋を求めていった。つまり、モノが少ない部屋が理想となっていた。
だが、自分はミニマリストにはなれない。というよりもむしろ、なりたくない。
誤解を招かないように先に後述しておくが、僕はミニマリストの方々を非難しているわけではない。むしろ尊敬の念があるくらいだ。
僕がミニマリストになれない理由。それは、実用性だけを重視してモノを捨てるということができないからだ。
例えば、高校時代に3年間使っていたグローブ。ボロボロで草野球でも使っていないが、就職のために実家を離れた今でもリビングに置いている。
初めて買ったCDはBUMP OF CHICKENの「RAY」で、これも捨てきれずにいる。(実際はCDではなくアルバムだが)
何が言いたいかというと、自分にとって思い入れがあるものは捨てたくないということだ。
確かに実用性を考えればいらないかもしれない。しかし、それだけの理由で思い出の品を手放すのは、僕には冷徹に感じてできない。
だから僕はこのままがいい。思い出の品を軽々しく手放せるような、浅はかなミニマリストになるくらいなら、その思い出を大切にしたい。
もし仮に、将来、今捨てられないものが軽々しく捨てられるようになっていたら、少なくとも2022年4月時点の僕は、将来の僕を軽蔑の目で見ているにちがいない。