思い返すこと─4w5の個性を持つ者として─
以下は心理学的な性格類型をある程度知っている方向けに書かれていますが、知らなくても大意は取れるように配慮しています。暇潰しにどうぞ。
僕の父親は体育会系を地で行くESTJで確かにいわゆる「頑固者」で「強硬派」かつ「神経質」だが、かつてバイクによるツーリングを好んだりスキーが異様に得意だったり、かなり最近まで素潜りによる銛突き漁(筆者としてはこれを推奨しない)を行っていたりと、体を使うこととそれを楽しむことに関しては無類の才覚を誇っていた。
8w7だからか駄洒落を初めとして徹頭徹尾冗談の好きな人柄だった。
彼は昔はあまり小説を読まなかったというが、若い時分に読んだ石原慎太郎の『太陽の季節』にはいたく感動を覚えたらしい。
なるほど石原氏の政治思想に共感する極右思想の持ち主としては当然の嗜好だと思うが、エニアグラムで見ても得心がいく。
INFP4w5の倅としては、そのまま三島由紀夫の文学にも向かってみてほしかったが。
彼が三島由紀夫を読まなかった理由は聴いていないが、想像がつく。同性愛への嫌悪から三島由紀夫の著作に手をつけなかったのだろうと推察する。邪推ではなく、そうした差別意識に触れることが度々あった。
特に家族でTVを観ている時に、彼の世代でいうところの「おかま」が現れると苦虫を噛み潰したように微妙な反応を見せていた。
忌野清志郎の化粧に対してもかなりの抵抗心を持っていたようだが、彼が亡くなったときに追悼で流れているRCサクセションの曲を聴いて「いい歌詞書いとるやないか」と謎に上から目線の称賛を送っていた。ミーハーかこいつ。そういうところが4w5としては本当に気に障るところなのだが。
そうした差別意識が「支配者としての父」を通して自分に一切根を下ろさなかったかというと嘘になる。少なくとも男が化粧をするのは不自然だとか、女性めいた口調で話すのはおかしいといった価値観を内面にうっすらと飼っていたことは疑いようがないが、そうはいっても僕は美川憲一がTVに出ているのを観るのは好きだったし、美輪明宏に対してはやはり得体の知れない恰好よさを感じ取っていた。
さてここで友人を話に出す。ENTP7w6である彼とは小学校の入学式で初対面を果たし、その当日に何の脈絡もなく意気投合し遊び倒すという、決定的な邂逅のもとに関係を形成している。僕とは家族ぐるみにやや近い付き合いではあったので、件の父の運転で遠出に連れて行ったり、彼の母の運転でUSJに連れて行ってもらったり、そういうことがよくあった。両者とも一人っ子だった。
彼は喰わず嫌いというものをまるで行わない人間で、そもそも何かを「嫌いになる」ということがほとんどない。あってもそれを表出しない。隠しているというより、そこに自分で目を向けることもない。そういう人柄だ。
早くに統合を終えた早熟なタイプ7というのは、そうした傾向を持つのかもしれない。なんだかんだ「ええやん」「やろうや」とよく返すあれは信念を伴った口癖だったのではないかと認識している。
長い付き合いの中で、中学生の頃だったか彼がL'Arc〜en〜Cielをカラオケで歌うようになった。もちろん彼と同級生である僕としてもラルクを知らないわけではなかったし、READY STEADY GOという楽曲は当たり前に好きだった。まだスマートフォンが台頭する前、折りたたみ式の携帯電話を使っていた僕らのあいだでは違法に音楽を聴くことが横行していたが、そうした方法も初めには彼から教わった。
当時まだミュージシャンの服装や容姿、ジャンルといったことに関心も知識もなかったので、ある意味なんの偏見もなかったことが幸いしたのか、L'Arc〜en〜Cielというロックバンドの風貌を知っても特に前述した父親の影響が影を落とすことはなく、好きになっていた。
今はもう放送されていないのだと思うが、MUSIC STATIONという番組があった。うたばんというのもあった。そうした音楽番組でL'Arc〜en〜Cielを聴いていると、件の父はやはり難色を示した。だからといって何かあったわけではないが、TVでロックバンドを観るのは憚られるところがなかったとは言えない。
なんというか、いい顔をしないだろうなという引け目があった。
話を戻す。上に述べた友人のみが生涯一度も途絶えたことのない繋がりだったが、互いに話していないことはほとんどないと思う。秘密主義の嫌いがある向こうがどうかは知らないが、そのぐらいの間柄であったことは間違いない。彼もそのように述べていた。
さて、僕が彼を「友人」と認識していたかどうか。これが怪しい。
こちらから仕掛けるスキンシップが、二十歳を越えるまではあまり減らなかった。拒絶もされなかった。頬をつついてみたりやたらに肩を組んでみたり。肩を組むことに関しては向こうからもあったので、これはこちらに限ったことではないがベタベタすることの湿度がいくらか違うな、というのは感じていた。
小学生の頃、僕と彼とはほとんど行動をともにしていたが、彼はふらっと離れていきグループやカーストを飛び越えてひとりで親交を結んでくることがあった。あるいは自分と過ごしているときに自分と緊張関係にある同級生と談笑しているということがあった。
社会的にはよくある当たり前の光景だが、そうした時の僕の心境というのは並大抵のものではなかった。妬みと寂しさに同時に焼かれるような苦しみをしばしば感じていた。
いま思うに、そもそも友人関係ではなくあれは性的行為を伴わないだけの恋愛関係だったのかもしれない。そうした感情を恋愛なのだと認めなかったのは何が原因だったのだろうか。あくまで同性の友人である、友人でなければならないという矜恃だったのか、それとも父による差別意識の薫陶が自己へと向かっていたのか。
一度か二度ほど、たしか高校生の頃だったと思う。彼に本音として洩らしたことがある。自分が女だったら、どれほどよかったか。間違いなくお前の彼女になっていた。
もう昔の話なので忘れてしまったが、その時の彼は別に否定はしなかった。
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