被害者の立場に立って考えてみろ!
タイトルを読んでみて下さい。
たまにこの言葉をきくことありませんか?
いつも思います。「だったら加害者の立場にも立たないと公平じゃないよね」
社会とは、「被害者の立場にも立って」「加害者の立場にも立って」そのどちらもが一番納得するルールを作っていく事こそが、
「法の下の平等」になるんです。
私たちは日々の生活の中で、感情に基づいた判断をすることが多々あります。特に自分や身近な人が被害を受けた時には、冷静さを失い、感情的に物事を捉えがちです。しかし、感情に基づくだけの判断は、社会全体を見渡した時に、必ずしも最善の結果を生み出さないことがあります。そこで重要になるのが、ミクロとマクロという異なる視点を持つことです。
「身内が被害に遭ったら…」というミクロな視点
よくある反応として、「自分の身内が被害に遭ったらどう思う?」という問いがあります。これは非常に感情的で、個々の立場に立ったミクロな視点です。被害を受けた側やその家族にとって、感情的になるのは当然のことであり、重い処罰を求める声が上がるのも無理はありません。
しかし、ここで注意が必要なのは、このミクロな視点だけで判断してしまうと、社会全体のバランスが崩れる可能性があるという点です。感情に左右された重罰は、法律の公平性を失わせる危険性があり、最終的には自分自身や家族にも不利な結果をもたらすことがあるのです。
マクロな視点の重要性
一方で、マクロな視点は、感情に流されず、社会全体の利益を考慮するものです。例えば「国のためにならないだろう」という主張は、個々の感情を超えた大局的な視点から物事を捉えようとするものです。しかし、このようなマクロ的な視点は、感情に直結しにくいため、多くの人にとって想像しにくいことが多いです。
そこで、両方の視点をバランスよく持つことが求められます。ミクロな感情を理解しつつも、マクロな視点で冷静に社会全体を見渡すことができると、より公平でバランスの取れた判断が可能になります。
効果的な説明方法:加害者も被害者も知っている状況を想像させる
このようなマクロとミクロの視点を相手に理解してもらうために、具体的な例を使うと非常に効果的です。例えば次のようなシナリオを考えてみてください。
「加害者も被害者も友達で、さらにその家族とも親しい関係にあり、最近ではみんなで還暦のお祝いをしたばかり。加害者の母親が女手一つで育ててきたことも知っている。この状態で、どちらか一方に偏った感情的な判断をすることができるだろうか?」
この例を提示することで、相手は感情的な反応から一歩引いて、冷静に考えざるを得なくなります。個々の感情や状況にとらわれすぎることなく、加害者・被害者・その家族全員の立場を考慮することの重要性が浮かび上がります。社会全体もまた、このように多様な立場や感情が絡み合っているものです。そのため、ミクロな視点だけではなく、マクロな視点を持つことが不可欠だということが理解しやすくなります。
ミクロとマクロの視点を持つことで、より良い社会へ
ミクロな感情は無視するべきものではありません。しかし、感情だけに流されてしまうと、全体のバランスが崩れてしまう危険があります。だからこそ、マクロな視点も合わせ持ち、全体としての社会の利益や公正さを考慮することが重要です。
この両方の視点をバランスよく持つことで、個々の感情や利害を尊重しつつも、冷静で公平な社会のルールを守り続けることができるのです。私たちが日々の生活でミクロな視点から判断することが多い一方で、その一歩先を見て、社会全体にどのような影響があるかを考える習慣を持つことが、より良い社会の実現に繋がるでしょう。