嫌われる事より、好きじゃなくなられる方が大変というお話
こんにちは!営業マンかつ元ナンパ師!そしてvoicyのパーソナリティとして、毎日ろりラジというラジオを配信している配信者のしんたろーたりーです。
今日は、
「嫌われる事より、好きだったけど、好きじゃなくなられる方がよっぽど大変だ」
という話をしていきたいと思います。
僕は、Twitterでかなり自己開示をしています。
人間関係を築いていく上で、最強の方法が自己開示だと思っているので、人を簡単にふるいにかける事が出来ます。
超簡単に説明すると、「猫好きだ」と自己開示すれば「猫好き」の人間が近寄ってきますよ。というただこれだけの事です。
これをもっと突き詰めて、「すごくコアな好きな事」とか「すごくコアな嫌いな事」を開示することによって、合わない人と合う人が明確にわかってきます。
僕の例で、極端な意見を一つ例示すると、
僕は「聖人君主じゃないと世の中で大成しない理論」が嫌いだという旨の発信をしています。
「政治手腕がとてもある」「歌の才能が抜群にある」人たちが、ひとたび麻薬や不倫を暴かれれば、二度と表舞台に戻ってこれない。
という世界がとても嫌いです。
この世界のままでは「政治手腕がとてもある+良い人」「歌の才能が抜群にある+良い人」でないと、成功しないことになります。
法治国家ですので、法律に則って、罰則を受ける事はアリだと思うのですが、定められた以上の社会的制裁が多いような気がしてなりません。
「世の中に新しいアイデアを生み出すの上手い人」が不倫しようが、汚い手で稼ごうが、そんなことはどうでもいいので、僕たちをワクワクさせる新しい何かを作り続けていてほしい。
そう思っています。
その方が、「良い人」である必要がないので、世の中にとって、より良い作品や商品が出てくる可能性が高くなるでしょう。
この意見は、賛同者が少ないのですが、Twitterの広い世界の中には、賛同してくれる人ももちろんいるのです。
この様な偏った考えでも、自分の好きな意見・嫌いな意見を発信する事で、広いTwitterの世界では、そのふるいに見事残る人が現れます。
その人と一緒にお酒を飲んだ事があるのですが、とても楽しかったです。
会話のテンポがとんでもなく早いので、大体の発言で、「2」ぐらい話せば全て「10」になる。そんな感じです。
この事は恋愛にも応用がきくと思いますので、これを実践すれば、自分にピッタリの異性とも出会う事が出来るでしょう。
でも、今日はこの部分の話が主題ではありません。
これを実践すれば、自分にピッタリの人たちが自然と集まってくるでしょう。ただし、その逆で嫌われる事も増えます。
自分を隠さないということは、嫌われやすくなると言っても過言ではありません。
それは慣れてしまえば楽なものです。自分の事を嫌ってくる人とわざわざ仲良くなろうとしなくてもいいのです。
問題は、「最初は合っていて側にいたが、合わなくなった。好きじゃなくなった」というケースが存在することです。
人の価値観は、新しい人と出会ったり、環境が変わる事で移り変わっていきます。
そうなると、友人同士、今までは合っていた価値観が合わなくなるという地獄が発生します。
この地獄は本当に恐ろしいもので、お互いの価値観が合わなくなって、「お互い合わなくなりましたね。じゃあバイバイ」なんてなるわけもなく、
無理やり合わせようとしてどちらかが嫌な思いをしたり、どうも相手とうまくいかなくなってヤキモキしたり。
今まで合っていたのだから。という事実が二人の中でしこりのように残ってしまい、最初から嫌いで合わなかった二人よりよっぽど悲しい結末を迎えてしまうことになります。
この事を一方は理解していても、もう一方が理解していなければ、「好きだって言われていたのに!裏切られた!」と思うかもしれません。
全世界の人に、こういう気持ちの変異がある事を理解してほしいという気持ちを持って今この文章を書いているわけです。
僕からアドバイスがあります。
「人間関係を保留」にしましょう。
これが、最善の策だと思います。
いずれまた価値観が合う瞬間が訪れるかもしれません。無理に合わせようとせず、一旦また仲良くなれることを願い、離れてみましょう。
いつかまた、仲良く語り合える時が訪れるかもしれません。