トガヒミコとワタシ人に迫害される個性
「社会の“当たり前”に縛られて、あなたの可能性は止まっていない?」
多くの人が「ルールを守ること」を美徳として信じ、社会的な枠組みからはみ出さないように努力します。それ自体は一見素晴らしいことに思えます。しかし、このルールに従うことで、何かを学ぶチャンスや新しい経験を積む機会を失ってしまう場合もあるのです。社会の“当たり前”が、実はあなたの成長を妨げる壁となっているとしたらどうでしょう?
たとえば、トガヒミコのキャラクターを思い出してください。彼女は、『僕のヒーローアカデミア』の中で、自分の能力や欲望が周囲に受け入れられず、迫害され続けました。彼女はその結果、自分の力を正しく使うことができず、社会から疎外され、最終的にはヴィランという道を選んでしまいます。しかし、物語の終盤で彼女の力が人を生かすために使われたシーンがあります。血を使って変身するという彼女の個性が、他者を助けるために役立つという展開です。このことから、彼女が適切にその能力を活かせる環境にいたなら、全く違った人生があったかもしれません。
私も同じです。
僕には、17歳からナンパをしてきたという過去があります。
その事を、noteの記事でも書いているし、Voicyの自己紹介でも必ず書いています。それを見た人から、批判をされたり、冷たい目で見られる事が多々あります。
でももし、ナンパという行動を社会的な批判に従ってやめていたら、今のように営業で成功することはなかったでしょう。ナンパを通じて得たコミュニケーション能力が、営業の仕事での強みとなり、多くの人に「その能力はすごいね」と言われることになりました。しかし、その経緯を話すと、「ああ、ナンパでね」と急に冷めた反応をされることがあります。社会的には、ナンパは“良くない”ものとして見られがちです。それでも、このスキルが他の人にとっても役立つことを知っていますし、「試してみれば?」と言っても、大抵の人はためらいます。
ここに、私は一つの矛盾を感じます。ルールを守ることを優先するあまり、「学べなかった」「挑戦できなかった」ということがまるで正当な理由のように扱われるのです。例えば、「正しくルールを守るために学べなかったんだ」と言えば、それで誰からも責められず、むしろ“正しい”行動として受け入れられてしまいます。でも本当は、その枠を超えた挑戦が、自分の成長やスキルアップに繋がるのです。ルールを守ることが、自分を守るための“ちょうど良い言い訳”になっていないでしょうか?
トガヒミコの能力も、最初は他人の血を吸って変身するという残酷な使い方をされていましたが、その力が他人を生かすために使われた瞬間に、その価値は大きく変わりました。さらに彼女の変身能力は、分身のように使える点で、本来は災害救助や医療の現場などで役立つはずです。社会がその能力の使い方を規制し、枠に押し込めるのではなく、その力がどうすれば他者のために役立つかを考えることで、もっと違う未来があったでしょう。
「当たり前」のルールに従っていれば、「普通」の結果しか得られません。もしあなたが何かに挑戦したいけれど、社会の目を気にして止めているなら、その“当たり前”を疑ってみてください。そこから、自分にとって本当に価値のある成長が見つかるかもしれません。