志摩の国一ノ宮 式内 伊射波神社
一般的には伊勢・志摩と一括りに呼びますが 昔 志摩は
「志摩の国」でした。
そして今の 伊勢市から鈴鹿市辺りまでが「伊勢の国」です。
志摩の国一ノ宮 『式内 伊射波神社』の格式ある由緒は
延喜5年(905年)醍醐天皇の勅命により編纂された
『延喜式・神名帳』に登載されています。
ここは 原生林に覆われた神域で この鳥居からは 自然石の石段と土の
急坂になります。
海を見下ろす小高い山の上にある 拝殿に辿り着きました。
この日は 雨にも関わらず 私たちも含めると3組の御参りでした。
古代は 安楽島(あらしま)の古名 粟嶋の本宮に祀られていた
地元豪族の伊佐波登美尊。
「伊勢神宮」が御鎮座される前からこの地にお住まいになり
倭姫を奉迎して鎮座に尽力され また志摩国の新田開発にも
大きな功績を残したと伝えられています。
発掘調査された全貌によると 遺跡は縄文中期から平安中期に
至るまでの時代の連続した複々合遺跡で おびただしい数の
製塩 祭祀用土器 儀礼用銅鏃(矢じり) 神水を得るため
欅の巨木をくり抜いて造った豪勢な井戸 神殿と思われる
建物跡が発掘され 皇族・貴族が往来した痕跡が見つかって
いるということです。
こうしたことから 古代『伊射波神社』は国家にも崇敬された
偉大な「贄持つ神」であったことの証と伝えましょう。
いただいてきた神社の栞に そう記されています。