【久々に(?)社会を眺め所見を記す】
ここ数年、「短文至上主義」「エビデンス至上主義」という言葉を勝手に作ってそれに危機感を覚えていると、書き続けて来ましたが、そんな私にとって大きな意味を持つ動画を見つけたのでシェアします。
https://www.nicovideo.jp/watch/so42792722?ref=androidapp_other
この30分ほどの動画は是非、腰を据えて視聴頂きたいと願いますね。今、世界は、日本はどういうような状況に置かれているのか?という問いの核心が少し見えてくる。そう思いますので。
扱う内容の巨大さから鑑みるに極めて、シンプルで簡単な言葉で語ってくれていますが、「短文至上主義」「エビデンス至上主義」が吹き荒れている昨今の世の中においてはこの動画でさえも、
「長い」「複雑」「エビデンスは?」「ソースは?」「つまりどういう事?」「難しいからわかんなーい」「いんぼーろーん」
と、極めて短絡的に受け取られ通り過ぎられてしまうことのほうが多いだろうと承知しています。それこそ短文至上主義の世の中なので。しかし、たとえ1人であったとしても伝わるならそれでいい。「速く多く」は求めたいけども、今は求めない。「速く多く✖中身0ゼロの分かりやすい短文」ではゼロなのです。「ゆっくりたった1人✖小難しくて長くても内容がある」という方式の方が希望がある。(このような多くの要素が絡み合った複雑な問題を扱うのに、分かりやすい短文は原理的に不可能です。小学生でも分かるような言葉、すなわち圧縮度の低い言葉を用いるなら長文化することは避けられず、逆に短文にまとめたいのであれば言葉を圧縮、専門的なものにする、つまり難解にするしかない。一定以上のボリュームの内容を表すには「分かりやすい短文」などという形式は原理的に不可能なのです。当たり前のことですが)
余談が長くなりましたが特に明確な意思を以ってコロナワクチンを拒否した人々はこの動画を見て、知っておいたほうが良いかもしれません。ワクチン接種に法的強制力が伴う方向に、問答無用で進んでいるようです。その進め方がまた、キチガイじみている、という所が私が最も危惧するところです。
これまで通りにワクチン接種を拒否するためには、もはやアウトローになるしかない。世間から逃亡するしかない。冗談抜きでそういう感じになりそうですね。さて、どうしたものか。
明確な答えなど、簡単に見つかるはずはなく。むしろ、答えがないところで踏ん張る覚悟こそが重要なのです。
以下は、動画内で共感した内容をザックリまとめたものです。
「今、我々が直面している状況は戦争そのもの」「人は答えをすぐに求めたがるがそういう思考では身を守ることが全く出来ない現実になってきている」「100%情報が揃ってから判断を下しましょうなんてやっていたら、もう命を落としている。時すでに遅し」「情報は絶対に揃わないし、不確定の中で正しい判断をしなければ生き残れない。そういう世界でいきているということを考えなければならない。また、そういう人を罠にはめるのが陰謀論という言葉。最初は『陰謀論でしょ?』と言いながら後々、情報が出て来てから『私は間違っていた』と気づくかもしれないが、それではもう遅い」
以上、共感した部分。「情報」という言葉をエビデンスとかソースという言葉に置き換えれば、私が書き続けていた事と同じ事がわかります。
ただ、極端に悲観することはないとも思います。当たり前のことなんですから。
「何が起こるかわからないのが世界であり、その瞬間の自分の直観が下した判断だけが自分の身を守る」
生きるとは本来的、本質的にはそういうもので、今までそうしてきた。それが崩れて身動きが取れなくなったのはここ最近のこと。
自分の直観より、どこぞの誰かが自分の都合で作ったかもしれないという疑念を払拭しきれないまま、出されたエビデンスだのソースだのを絶対優先し、それがないと身動き1つ出来なくなる。世界規模でそうなってしまったのは明確にはコロナ禍頃からでしょう。ちょっと前まではこうではなかった。だから少し前を思い出せばよい。未知の病気が出て来たとして、あんなパニックにはならなかった。
さて、ワクチンが導入されたタイミングあたりから、以降、日本人は大量死しています。私はここ最近はその動向をおってなかったのですが。
ずいぶんひどいことになっていますね。
参考→https://www.youtube.com/live/8anlfndHuK4?si=T6MinEzmBw0rfFfx
東日本大震災との比較から鑑みるに、やはり戦争に例えて差し支えない状態であると言っても良さそうです。ま、タイミングや、諸機関の態度から鑑みて、原因は「おおかた」ワクチンでしょうね。エビデンスもソースもないですが、そんな憶測、中学生でも出来るでしょう。その程度のことに、「エビデンスがないから判断は下せない!いたずらに行動は出来ない!」なんてやっていたら命が何個あっても足りない。事実、大量に人が死んでいて、それに対して行政は何もしない。見て見ぬふり。
「職から追われようが、友達無くそうが、俺は絶対、やらねーぜ!?」
みたいに、我が身の振りを決めるは断固として我が意志!という覚悟でないと生き延び辛い状況に、残念ながら既になっているのですが、その自分の意志と決断さえも、法律によって抑え込まれんとしている流れになっているようですね。
そうなるともう、自分の命を守るための自分の意志を通すには共同体から追われる覚悟を持たねばならぬ、アウトローになる覚悟を持たねばならぬということです。
これは、この判断は
軽々には、
下せない。
それが人情でしょう。
しかし、そろそろ覚悟を練り始めねばならない時期かもしれませんな。
いざという時に、判断を下す覚悟を。
何を大事とし、何を守るか?を決める覚悟を。
そして戦う覚悟を。