【ラジコンみたいなもので人を殺して動画に撮って拡散するという、一連の悪趣味に対して道徳的議論を持たない現代世界の希望について】
安全圏から操作したラジコンみたいなもので、人を一方的に殺してその様子を動画に撮ってそれを公開する。ということを海を越えて外国のマスコミが報道している。道徳的議論が巻き起こった感じは、少なくとも私はしない。
そんな感じの現代の世界の一幕にざわついてシェアしました。
これ、個人が個人に対してやったら、とんでもなく道徳的議論が巻き起こりますよね。
疑いなく。
「ラジコンみたいなもので人を一方的に殺した」
「それを動画に撮った」
「それを世界に公開した」
「それをメディアが拡散した」
「それに対して道徳的議論が巻き起こらない」
どの要素を取っても、個人が個人にやったものであれば大問題として扱われるでしょう。
しかし、この件に於いてはそうはなっていないようですな。
個人が個人でやったわけではないからでしょうか?もう、戦争においてはラジコンで一方的に人を殺すという手段がメジャーだからでしょうか?「巻き添えが少ない」「自軍の犠牲を抑えられる」という「メリット」を考慮して、「最善手」と認められているからでしょうか?
とにかくこの件に於いては大問題にはなっていない。
別の何かで聞いたことによると、「ラジコンみたいなもので一方的に人を殺す」という役割を背負っている兵種の人は、他の兵種に比べて極めて高度に自身の安全が保証されているにも関わらず、
「他の兵種と比べて段違いにストレスによる障害の脅威に晒されている」
とのことです。
ここに真実があるんじゃないでしょうか?
悪趣味にはやはり人は耐えられない。
そういうことではないでしょうか?
殺し合いの方法に道徳的な善悪上下の別を語るのは、そもそもナンセンスかもしれませんが、
それでも、
「安全な所から人を一方的に殺す」
という道徳的に問題のある行為の為の手段は歴史において、
弓矢、鉄砲、大砲、戦闘機、爆撃機(核を含む)、ロケットやミサイル(核を含む)と進化し、今、その進化の最前線にこのラジコンみたいなもの、即ちドローンの存在があるということなのでしょうが。
この、「ラジコンみたいなやつ」はいよいよ、人の道徳的品性と申しましょうか?
そういうモノが問われているというような気がしてなりません。
今、世界の戦争で主流になりつつあるこのラジコンみたいなやつによる殺人という行為に対して、私が何にそんな拒絶感を抱えているか?というのを自問自答したところ。
やはり欺瞞というところだと思います。
「爆撃もミサイルもやっぱりたくさんの人を巻き添えにするから、よくないよね。核なんて持ってのほかだよね。ならラジコンみたいなやつでスマートにやりましょう。これならまだいいよね」
という発想。でも、本音はそんなことどうでも良い。
「道徳的なんちゃらなんてモノもあるし、その後の事を考えたり、そもそも兵器の値段も考えたら、爆撃もミサイルも、核なんてのもコスパが良くないよね。核なんて実際使えないしね。ということでラジコンみたいなのでいこう。コスパもいいしね。周りからの文句も少ないだろ。エコだと言い張れるしね」
ってのが本音じゃないかな?
私は正直、道徳心の荒廃という観点に立つと、戦争におけるこのラジコンみたいなものによる殺人と、その周囲の現象(動画撮影やその拡散、報道)は、
人類史上、最悪の段階に入っているなー
と、ネガティブなものを感じざるを得ないのです。
同時に、この兵器の進化と反比例する道徳性という現実を直視することができたなら。どのような建前があったとしても、
「戦闘などというものは良くない」
という、人類史上語り継がれてきた、子供のような夢を、真剣に考える段階に、そろそろ本格的に立ち入ったのかもしれないという。
一筋の光明もまた、感じるのです。
今、もう本当にマヒしている。眠らされている。
覚醒さえすれば、どんでん返しが起こり得る。
そんな気がいたします。