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令和四年一月二十九日 赤坂氷川神社(あかさかひかわじんじゃ) 東京都港区

2021年3月末時点のコンビニ数は全国で5万8000店強。神社の数はそれをはるかに上回る8万9000社弱といわれる。                      コンビニの建物は各社ともVI(ビジュアルアイデンティティ)に基づく装飾はなされているものの基本的には合理性を追求、フォーマット化されたデザインである。これに対し、神社はいくつかの様式に分類されるのであろうが、おそらく一つとして同じものは存在しない各社オリジナルのデザインなのではないだろうか。さらにそこに作り手の思い、参拝者の願いや感謝の気持ちなどが長い時間かけて蓄積されている訳だが、そのような建物が日本中に多数あると考えると非常に特別な存在に思えてくる。しかも特別でありながら、悩みを打ち明け、願いをかける場所が誰彼の身近に存在するのであるから、こいう言い方をすると神様に叱られるだろうが、コンビ二エンスであると言える。


さて参拝だが、冬場の長距離ライドは中々つらいものがあり、最近は片道1時間程度の神社にしている。本日は「赤坂氷川神社」。この神社が「赤坂」という都心にあることと、社殿などが関東大震災、東京大空襲など度重なる災厄を逃れ、江戸時代当時のまま現存しているというところに興味が湧いた。

創設は、天暦五年(951年)。江戸中期の享保十四年(1729年)、徳川吉宗公が老中水野忠之を総責任者に命じて現在地に社殿を造営した。御祭神は、素盞嗚尊(すさのおのみこと)とその妻、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、それにこの二柱の子孫にあたる大己貴命(おおなむぢのみこと)である。氷川の名称の由来は、出雲国 簸川(ひかわ/現在の島根県斐伊川)にあるとされ、簸川の上流は素盞嗚尊の「八岐大蛇退治(やまたのおろちたいじ)」の舞台と伝えられている。

赤坂氷川神社は、東京ミッドタウンの隣に位置するが、やはり周りを緑で囲まれているせいか、また日曜の午前中ということもあり静かなもので、都心の神社ということを忘れる。

どなたかがウェブ上にアップした写真を事前に拝見していたが、物理的に広いというよりは何か包み込むような大きさを感じていた。実際訪れてもその感覚は変わらず、包容力というか懐の深さのようなものを感じる神社である。(この鳥居は南側の「一の鳥居」である。後にもう一つの「一の鳥居」を掲載するが、二つある場合もあると初めて知る)

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見出し写真の銅製扁額は、神門前の「三の鳥居」に掲げられている。「氷川大明神」の両脇に龍の装飾。


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二体の狛犬も江戸期の作。


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神門


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社殿が気になったと言いながら何故か一枚しか撮ってないのだが、四百年前の社殿は、総欅造り銅葺朱塗の一間社流造(いっけんしゃながれづくり)。緑と朱のコントラストに金の装飾が美しかった。


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都心を感じさせるビルと大銀杏。


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山口稲荷


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桶新(おけしん)稲荷。両稲荷ともその由緒は分からないとのこと。


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九神社(くじんしゃ)                           かつて境内の各所に鎮座していた天祖神社・春日神社・鹿島神社・八幡神社・諏訪神社・秋葉神社・厳島神社・金刀比羅神社・塞神社(さいじんじゃ)の9社を合祀した神社。


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二つ目の「一の鳥居」


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一の鳥居の右手にある「四合(しあわせ)稲荷神社」。古呂故稲荷・地頭稲荷・本氷川稲荷・玉川稲荷の四社を明治三十一年に合祀し、四合稲荷神社と称されるようになったと言われる。幕末の志士 勝海舟による命名。


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四合稲荷の向かいには太鼓橋。


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二の鳥居


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二の鳥居前の狛犬。「吽」の狛犬のポーズは初めて見る気がする。戦闘的?


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山車(だし)と宮神輿(みやみこし)

左:「頼義(よりよし)」                         たいへん珍しい三層型の山車。山車人形作りの名工と称えられる松雲斎徳山(しょううんさいとくざん)が弘化三年(1846)に制作。

中央:「猿」                               弘化二年(1845)作。作者は不明。平成二十八年の申年、修復、復活した猿の山車人形が、赤坂氷川祭にて百年ぶりに巡行した。

右:宮神輿(新調)                            東京大空襲で消失した宮神輿は、台輪寸法五尺(約1.5m)もあり、人で担ぐことはせず牛で曳いて巡行していた。しかし、当時の大きさと重さのまま新調するのは現実的ないため、姿形は限りなく当時のものを再現し、台輪寸法4尺(約1.2m)の規格となったらしい。

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家内は以前職場が近かったため、度々この神社を訪れていたらしい。知り合う前の話を、帰宅後聞いた。


龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 14













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