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令和五年十一月十二日 大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ) 神奈川県伊勢原市


オフィスの移転、プレゼンの準備などバタバタしてしまい、投稿が滞ってしまった・・・
この日は天候を睨みながら、家族で紅葉を見がてら大山阿夫利神社へ。数年前にも家族で訪れたが、その頃は、今後神社巡りをするとは夢にも思わなかった。今回は御朱印帳持参で参拝した。


土産物屋や旅館が並ぶ「こま参道」を抜けていく。

前回はケーブル使用したが、今回は駐車場確保のため早朝に到着したためまだケーブルは運行しておらず、徒歩で下社を目指す。子供連れのため楽であろう左側の「女坂」を選んだ。

「女坂の七不思議」というものがあり、こちらは『その二 子育て地蔵』。最初は普通のお地蔵さんとして安置されたが、何時の頃からかお顔が童あ(わらべ)に変わっていったとある。

『その三 爪切り地蔵』。弘法大師が道具を使わず、一夜のうちに手の爪で彫刻されたと伝えられている。

「宝珠山来迎院」とその隣にある「龍神堂」。奈良時代に、大山寺別当の良辯僧正が大山龍神を感得。以降、八大龍王と呼び大山の守護神にして雨乞いの本尊なった。

大山寺本堂へと続く石段。


通称「大山のお不動さん」、真言宗大覚寺派の雨降山大山寺は、成田山の成田山不動尊、日野市の高幡不動尊とともに関東三不動尊の一つとして有名。

『その七 眼形石(めかたいし)』。 人の眼の形をしたこの石に、手を触れてお祈りすれば、不思議に目の病が治ると言い伝えられている。

いよいよ下社の鳥居が見えてきた。

霧に煙る下社。手摺の支柱には、その下社を見つめる蛙が座す。

振り返ると一面の雲海。

『大山阿夫利神社は、2200年以上前の崇神天皇の頃に創建されたと伝えられている式内社です。古来では別名「あめふり山」とも呼ばれ、雨乞いや五穀豊穣の祈願の対象でした。その後、奈良時代以降は神仏習合の霊山として、武家政権下では武運長久の祈りの場所として栄えました。庶民からの崇敬も厚く、江戸時代以降は年間20万人を超える人々が「大山詣り」を行ったと記録されています。』公式サイト
御由緒より。

御祭神は、木花咲耶姫の父君である「大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)」、「大雷神(おおいかずちのかみ)」、龍神だと伝えられる「高龗神(たかおかみのかみ)」の三柱。

ケーブルカーの乗降口には「根之元神社」が祀られている。



龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 70


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