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令和三年十一月二十一日 玉前神社(たまさきじんじゃ)/千葉県長生郡

本日はボニーと初めて長距離を走る。知人と共に房総を目指す往復200km強のツーリング。その折り返し地点に「上総国一之宮(かずさのくにいちのみや) 玉前神社」を選んだ。

公式サイトによると、「玉前神社は上総国にまつられる古社であり、平安時代にまとめられた『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』では名神大社(みょうじんたいしゃ)としてその名を列せられ、全国でも重きをおくべき神社として古くから朝廷・豪族・幕府の信仰を集め、上総国一之宮の格式を保ち続けてきた。(中略)ご創建の由来や年数また名称についてなど明らかにされていないが、毎年九月十日から十三日に行われるご例祭は少なくとも千二百年の歴史があり、少しずつその形を変えながらも、古代からの深い意義を連綿と守り伝えてきたことを何よりの宝物として、この郷の人々と共に大切にしている。」とある。

御祭神は、玉依姫命(たまよりひめのみこと)。『古事記』には海神・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が夫・日子火火出見命(ひこほほでみのみこと)の故郷の海浜で御子・鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を出産の後、妹の玉依姫命にその御子の養育を託して海へ去られたことが記される。その後、玉依姫命は陰となり日向となって赤ちゃんを守りお育てになる乳母(老いては姥)神様とならた。

鵜茅葺不合命の旭日の働きである清新・発祥・開運・再生などの物事の新しく始まる事象が玉依姫命によって守護されるといい、人の精神にかかわること、縁結び、また子授け・出産・養育・月の物など神秘的な女性の心身の作用は、月のお働きをされる玉依姫命ご自身のお導きによるものと言われる。

その他、春分・秋分の日の出の位置と「玉前神社」をむすんだ延長線上には、寒川神社(神奈川)、富士山頂、竹生島(滋賀)、元伊勢にある皇大神社(京都)、大山にある大神山神社(鳥取)、出雲大社(島根)があり「御来光の道(レイライン)」と呼ばれる。玉前神社はこのレイラインの最も東にあることから関東屈指のパワースポットとも言われるらしい。


この日は「縁結び市」で出店が並び、七五三も重なり大層な人出であった。
境内入り口に朱の明神鳥居があり、参道を進むと銅製の神額が掲げられた石の二の鳥居がある(見出し画像)。そして三の、これまた朱の鳥居の奥に黒い社殿が見えてくる。

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社殿は、貞享四年(1687)に造営。黒い社殿(黒漆)というのは珍しいのではないか?金と赤、それに極彩色の獅子と象の木鼻(きばな)がよく映える。中央の彫刻は、能の作品のひとつである『高砂』。

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社殿の左に「西山」と呼ばれるこんもり木が生い茂る小さな山(?)があり、その周りに白い玉砂利が敷かれる「はだしの道」なるものがある。「一周廻りて無垢となり 二周廻りて気を入れて 三周廻りて気を満たす」とある。文字通り裸足で廻るのだが、これがかなり痛い。比較的丸い石を敷き詰めていると神社関係者と思しき人に言われたが、十分な刺激であった。これを味わえただけでも参拝の価値があったと思う。

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御神木。初めて聞くが『いす(のき)』という木らしい。

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あの「さざれ石」である。ウィキペディアによれば、「さざれ石は、もともと小さな石の意味であるが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、ひとつの大きな岩の塊に変化した「石灰質角礫岩」を、日本の国歌である「君が代」の歌詞にある巌(いわお)であるとして、この岩を指してさざれ石と呼ぶことも少なくない。」とある。日本各地に見られる。


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末社十二神社

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お稲荷様と秩父の三峯神社(みつねじんじゃ)から勧請した伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉册尊(いざなみのみこと)を祀る三峯神社。


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龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 09










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