令和四年五月六日 海南神社(かいなんじんじゃ) 神奈川県三浦市
浦賀・西叶神社、葉山・森戸大明神に続き、三浦半島の龍神を祀る三社目として三崎・海南神社に参拝した。
海南神社は、三崎港から市街地を少し山手に入った地点に鎮座する。源頼朝の敬神の念が厚い神社であり、相模国三浦総鎮守。藤原資盈(ふじわらのすけみつ)、資盈の后である盈渡姫(みつわたりひめ)、筌龍弁財天(せんりゅうべんざいてん)(三浦七福神)、及び地主大神を祀る。天五年(982年)に現在の地に社殿が建立される。
筌龍弁財天の縁起ー
治承四年(1180)、源頼朝の挙兵に呼応した和田義盛は衣笠城で畠山・江戸の諸軍と戦ったものの落城、海路房州に逃れた。折悪しく大暴風雨に遭遇し、流されて兵糧が尽きたとき、龍神に加護を祈ったところ「筌」という竹製の漁具が流されてきた。辛うじてこれを用いて魚をとり、主従飢えをしのぐことができた。この地に「筌」を祀り、弁財天堂を建立したのが始まりである。
本殿左手に「相州海南高家神社(そうしゅうかいなんたかべじんじゃ)」。料理の神様・磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)を祀っている。
相州海南高家神社の鳥居をくぐると右手に石段。朱の鳥居が見える。
その先に「伊勢皇大神宮」。
金毘羅宮。社は新しくされたようだ。
龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 27
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?