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令和四年二月二十三日 師岡熊野神社(もろおかくまのじんじゃ) 横浜市港北区


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参拝時、いつもヘルメットが邪魔っ気なのでホルダーを取り付けた。


師岡熊野神社は、聖武天皇神亀元甲子年(724年)に全寿仙人によって開かれた。和歌山県熊野三社(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の祭神と御一体とされる。数多くの古神事の中で、千六十回あまり続けられている筒粥神事は有名である。(つつがゆしんじ/粥占の一種。粥を炊くとき釜の中に梛木の葉と繋げられた二十七本の細い竹筒を入れておき、その筒の中に入った米粒の量によってその年の豊凶を占うというもの。)
関東地方における熊野信仰の根拠地として、また、横浜北部の総鎮守の宮として古代より現代に至るまで広く篤い崇敬を受けている。

御祭神は、伊邪那美尊(いざなみのみこと)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)

例の黄泉国での伊邪那美尊との再会時、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)が吐いた「唾」から化成したのが速玉之男で、穢れを祓うと事解之男命が生まれたという。 神聖なものとされたのか、ある種の呪いのようなものとされたのかは定かではないが、古代の日本では「唾」には何か特別な意味があると考えられていたようで、記紀の中でもいくつかの場面で登場するらしい。


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最初に鳥居の前に立った時の印象は「一直線」。シンメトリーは、力強さと安心感を与える。急な石段が社殿へと真っ直ぐ続く。


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鳥居をくぐると石段すぐ右脇に「稲荷社」。


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拝殿は「権現造 銅茸(明治十七年 再建)」。因みに後ろのある本殿は「権現造 柿茸(正徳二年 創建)」。


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向拝中備(こうはいなかぞえ)に精緻な龍、その上にぎっしり犇めく三つの尾を持つ鳥はなんだろう?三本の足なら熊野大神のお使い「八咫烏(やたがらす)」だろうが・・。



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本殿裏、石段を登ると、たくさんのお社が祀られている。

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石段を登り、左に向かい、権現山を登る。頂上に見晴らしのいい「権現広場」が現れる。

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臥龍の瀧


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さざれ石


「いのち」の池

道路を隔てた鳥居前には、弁財天が祀られた「い」の池、先の本殿裏手には「の」の池がある。三番目の「ち」の池は、今は埋められてしまって大曽根第二公園となっている。「い」の池は、二つの池が平仮名の「い」の字の形をしていることに因む。古くは、十二の龍頭を使っての「雨乞神事」も行われたとのこと。また、この池には片目の鯉の伝説がある。遠い昔、熊野神社の権現さまがこの地の悪者を退治したときに、弓矢で片目を射られてしまう。その時に、「い」の池に棲む鯉がその美しい目を権現さまのために差し出したという。「の」の池では、こちら社が落雷で出火した折、この池の水によって御神体を守ったといわれている。正月の筒粥神事はこの池の水を使うとのこと。

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「い」の池


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「の」の池


御社紋は八咫烏(やたがらす)、手描き風。烏紋(からすもん)といい、熊野信仰特有のものらしい。八咫烏は、神武天皇が熊野の山中で道に迷われた際、大和までお導きするために遣わされた。

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こちらは、直線的でモダナイズされた八咫烏。サッカー日本代表のエンブレム。

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上は導入当初のデザイン(2009)。「紋章」という古典的なスタイルを継承しつつ各要素が整理され、洗練された印象にリデザインされた。(2017)。


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漢字にすると男らしい。いや、一ファンとして、男らしい方であろうとお見受けしている。でも楽曲やイメージからすると、やはり平仮名か・・。


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上手にデザインされたお神籤。


龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 16

















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