令和四年四月十七日 蛇窪神社(へびくぼじんじゃ) 東京都品川区
令和元年十二月二十六日、蛇窪神社鎮座七百年記念事業の一環として、氏子崇敬者の御浄財により建立された檜の大鳥居は、未だ白木の装いを残しているためか、神額の金、緑、赤、黒が映え、際立つ。
古くは蛇窪と呼ばれた地に鎌倉末期に創建されたと伝わる古社。
元亨二年(1322)、この辺り一帯が大干ばつに見舞われた際、古池のほとりの龍神社に祈願したところ大雨が降り、これに感謝して神社を勧請したのが始まりと伝わる。社名は、神明社、正式名称の天祖(てんそ)神社を経て、令和元年から「通称」を格上げする形で「蛇窪神社」が用いられている。
主祭神は、「天照大神(あまてらすおおみかみ)」。配祀は、「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」、「応神天皇(おおじんてんのう)」。
境内社には、白蛇辨財天社(市杵島姫神、田心姫神、湍津姫神)、石窟(白蛇大神)、蛇窪龍神社(蛇窪龍神)、伏見稲荷(稲荷大神)が鎮座する。
社殿右の三重の鳥居をくぐるとなかなかインパクトのある光景が出現する。
参拝順序、先ずは「撫で白蛇」。夫婦の白蛇様で大きい方が妻(左?)。
次に「蛇窪龍神社」。令和三年四月一日、御鎮座七百年を記念し、元宮としてこの神社を建立。蛇窪龍神社は、蛇窪神社創建の前の神社で、千年以上の歴史があると伝えられ、蛇窪の守護神と称えられている。ユニークな造形の7匹の白蛇と全長8メートルの白龍(真鍋勝氏の作品)が見られるが、神様の使いである白蛇が8匹目に白龍になるという言い伝えを表しているらしい。
そして「銭回し」。「白蛇種銭」を石臼の金杯に乗せ、時計回り3回ゆっくりまわす。社会やお金が良い方向に回りますように、などを願いながら・・
ザルに白蛇種銭と自身の種銭を入れ、「銭洗い所」で水鉢の中に浸して清める。
最後に、清めた種銭と共に「白蛇弁辯天社」へお参りして完了。白蛇種銭は財布に、自身のものは自宅に保管する。
鎌倉時代、天祖神社の社殿の左に清水が湧き出る洗い場があり、そこに白蛇が住んでいた。時は移り洗い場はなくなり、やむなく白蛇は現在の戸越公園の池に移り住むようになる。 あるとき、土地の旧家森谷友吉氏の夢枕に白蛇が現れ「一日も早くもとの住処に帰してほしい」と懇願した。森谷氏はこの話を宮司に伝えて、白蛇をもとに戻すよう願い出たことにより、辨財天社を建立することが決まったという。
お稲荷様は、京都伏見稲荷大社の御分霊である。 元享二年(1322)に武蔵の国を救った雨乞いの断食祈願に基づいて祀れられ、「新編武蔵風土記稿」文政十一年(1828)にその名が記されている事から、相当古くから祀られているようだ。
龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 23
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