見出し画像

令和四年二月五日 溝口神社(みぞのくちじんじゃ)/久本神社(ひさもとじんじゃ) 神奈川県川崎市

昨年頂いた厄払いの御札とお守りの返納に、溝口神社へ。まだお正月っぽさが残る。

神社の創立年代は定かではないが、神社保存の棟札よれば、宝永五年(1709年)武州橘樹郡稲毛領溝口村鎮守、赤城大明神の御造営を僧・修禅院日清が修行。江戸時代は神仏習合により、溝口村の鎮守・赤城大明神と称される。明治維新後、神仏分離の法により、溝口村(片町・上宿・中宿・下宿・六軒町・六番組)の総鎮守として祀るべく新たに伊勢神宮より御分霊を奉迎し、御祭神を改め溝口神社と改称、更に明治6年(1873年)幣帛共進村社に指定されたと公式サイトにある。

御祭神は、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)と日本武尊(やまとたけるのみこと)。

画像15
画像13


社殿の両側にある一対の女性神の象徴・お多福さんが参拝者を出迎えてくれる。「日本一美人なお多福さんです。参詣される方々の心の安らぎ、笑顔の一端になれば」ということらしい。中々のインパクトである。

画像13
画像5
画像7

社殿は入母屋造りか?綺麗に磨き上げられたご神体の鏡には、はっとさせられた。


画像11
画像11


溝口神社はこの御神木「親楠(おやくす)」が目を引く。常緑広葉樹であることと快晴であったため、冬にもかかわらず力強い存在感があった。(余談だが、クスノキは、4月になると紅葉し、一斉に落葉するらしい。防虫剤「樟脳」の原料であることと、アオスジアゲハの幼虫の食草であることは知っていたが、紅葉するとは知らなかった・・)

画像9
画像8


京都伏見稲荷大社のご分霊、稲荷神社。

画像14
画像12



話は前後するのだが、溝口神社の近くにあり、兼務社でもある久本神社に先にご参拝させて頂いた。参道入り口から目を向けると、一直線に神明鳥居、社殿が視界に入る。

画像1
画像2

駐車場はあると分かっていたし、看板もあり確認したつもりだが、もしかしたら境内に停めてしまったかも・・。


神社の創立年代は不詳。 古来神仏習合により久本村には杉山社二社、神明社、八幡社の四社が竜台寺持ちで存在したが、明治六年神仏分離により、以上の四社を合祀し、社名を久本神社と改め、祭神を天照大神とした。 現社殿は昭和二十九年建築されたものらしい。

画像3


ここで初体験。これまで十二社ご参拝してきたが、初めて「鈴」を鳴らした。各社を参拝する度に、「神社って鈴なかったけ?」と漠然とは思ってはいたのだが、今回初めてお目にかかった気がするので調べてみると、コロナ対策で「鈴緒」とよばれる紐を取り外している神社があるらしい。もしかしたら鈴も一緒に外している可能性もあるのかも知れない。また元来、神社によって鈴自体の「有り、無し」があるようで、「古くからある神社や大きく格式のある神社には鈴が付いていないことが多い」といった記載もネット上に散見される。たまたま鈴のない神社ばかり参拝したとも考えられるが、今度調べてみよう。(溝口神社のお稲荷様にも鈴があった)

画像4


画像16

見開きタイプは初めて。


画像17

久本神社の御朱印は、溝口神社で頂ける。


龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 15










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?