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令和六年十一月十六日 濱松 秋葉神社(はままつ あきはじんじゃ) 静岡県浜松市


クライアントから浜松に同業者ライダーが集合すると聞き、一緒に行ってみた。
東京など遠方からの参加者は二泊三日でテントを張っていたが、私は日帰り参加とした。参加者は、主に、バイク・車の現役デザイナー、そのOBそして就職が決まった学生など30名弱。泊まりで参加すれば色々話ができて楽しかったのだと思う。次回に期待。

note開始から月に一度は投稿しているが、11月も中盤になり月末までに神社に参拝できるタイミングが無さそうだったので、早朝に自宅を出て、浜松から参加のクライアントとの待ち合わせ場所に近い「濱松 秋葉神社」に立ち寄ることにした。

Bonnyにフライスクリーンとサイドバッグを装備した

御由緒は次の通り。
「徳川家康公、永禄十三年(1570年)浜松城入城の際、北遠の霊山秋葉山より勧請。浜松城近くの丘陵の上、奥三河の有力国人であり、家康公の長女亀姫を正室とする家臣奥平信昌の屋敷に建立。御朱印を付せられるとともに、敷知、浜名、引佐、磐田、豊田、山名、城東の七郡(現在の御前崎市から湖西市まで)の広さを檀下場として年々二季神札の配札を為し金穀募集を許可せらる。 慶応三年(1867年)正一位の神階を賜る。

古くから、毎年一月二十八日には神札や正月飾りなどを納める焼納祭、農作物の豊凶を占う管粥祭が執り行われ多くの崇敬者が参拝するなど、浜松やその周辺に住む人々の祈りの場となっています。
家康公が勧請し、徳川家、武田家、井伊家を結ぶ「信玄衆誓詞(天正壬午甲信諸士起請文)」奉納地、「井伊の赤備え」発祥の地として、以後歴代の浜松城主の崇敬も厚く、多くの灯籠が寄進され、現存しているものがあります。」(公式サイトより)


こちらの神社にはたくさんの神様が祀られるが、本殿祭神は「大祓詞」の最後の件、『高山の末 短山の末より 佐久那󠄁太理に落ち多岐つ 速󠄁川の瀨に坐す瀨織津比賣と云ふ神 大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒󠄄潮󠄀の潮󠄀の八百道󠄁の八潮󠄀道󠄁の潮󠄀の八百會に坐す速󠄁開都比賣と云ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば 氣吹き戶に坐す氣吹戶主と云ふ神 根國 底國に氣吹き放ちてむ 此く氣吹き放ちてば 根國 底國に坐す速󠄁佐須良比賣と云ふ神 持ち佐須良ひ失ひてむ 此く佐須良ひ失ひてば 罪と云ふ罪は在あらじと・・』に登場する四柱の神様と迦具土神(かぐつちのかみ)。

木々も緑で芝生もまだ青く、朱でまとめられた建築が映える。
あまり滞在する時間はなく、御朱印を頂き待ち合わせ場所へ向かった。



p.s
最近、新聞・テレビは、SNSの情報はデマだと叩くが、国に都合の悪い情報は一切国民に伝えない己らの姿勢とどちらが罪が重いのだろうか。きっちり報道すれば助かる命もあったかもしれないのに。まあ今に始まったことではないのだろうが。。


龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 87


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