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令和三年十二月二十八日 江島神社(えのしまじんじゃ) /神奈川県藤沢市

江島神社は、九月に訪れた「龍口明神社」と夫婦神社とされる。龍口明神社の御祭神のひとつ五頭龍大神(ごずりゅうおおかみ)が江の島に降臨された弁財天と結婚したことによる。このように二社で一対の理由から何となく年内に参拝をしておきたかった。

江の島湧出については諸説あるそうだが、「江島縁起」では、欽明天皇十三年(552年)四月十二日の夜から二十三日の朝まで大地が震動し、天女が十五童子を従えて現れ、江の島を造ったと表現される。御祭神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が須佐之男命(すさのおのみこと)と誓約された時に生まれた神で、三姉妹の女神様である。

・辺津宮の田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)
・中津宮の市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
・奥津宮の多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)


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江の島弁天橋を渡り終えると青銅の鳥居が現れる。縁を龍で装飾された神額に「江島大明神(と書いているらしい)」の文字、というより、もはやロゴ。


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朱の鳥居。その先に見えるのが竜宮を模した楼門「瑞心門(ずいしんもん)」。


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門をくぐると、江島神社ご鎮座1450年を記念して奉献された「弁財天童子石像」。


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手水舎(てみずや)


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辺津宮(へつみや)。高低差のある江の島(神域内)では、一番下に位置していることから「下之宮」とも呼ばれる。


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銭洗白龍王


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奉安殿(ほうあんでん)。八角のお堂には、日本三大弁財天として有名な八臂弁財天(はっぴべんざいてん/国指定重要文化財)と裸弁財天・妙音弁財天(市指定重要文化財)が祀られている。江戸時代には、この江島弁財天への信仰が集まり、江の島詣の人々で大変な賑わいを見せたらしい。


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八坂神社(やさかじんじゃ)。江島神社の末社。建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が祀られている。


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朱が鮮やかな中津宮(なかつみや)


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水琴窟(すいきんくつ)。水琴窟は、地中に埋められた瓶に水を流すことで美しい音を奏でる。水琴の高周波の音は、 心身の浄化・運気向上・幸運をもたらしてくれるという。※通常置いてある柄杓は現在取り払われている。


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この日は快晴。展望塔付近からは富士山が見られた。


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奥津宮(おくつみや)。拝殿天井に描かれた「八方睨みの亀」と奉納された龍と天女の絵のおしゃもじ。


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龍宮(わだつみのみや)。岩屋本宮の真上にあたるところに平成五年(1993年)、崇敬者の御篤志により建てられたお宮。御祭神は龍宮大神。江の島は、湧出以来、龍神の坐すところとなり、古来、龍神信仰は弁財天信仰と習合されていた。その密接なる結び付きは、「江島縁起」を始め、「太平記」等に多く残されている。


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岩屋に降りていく手前にある江戸文様が施された風変わりな鳥居。「も組繋鳥居」というらしい。江戸火消し「も組」が奉納したという。


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岩屋。江の島弁財天信仰の発祥の地。。現在は何も祀られていないが、多くの石仏や奇岩、句碑などを見ることができる。(写真中央は、八臂弁財天)


江の島訪問はこれが三度目である。過去二度は観光。今回初めて参拝目的で訪れた。これまで訪ねた神社は程度の差こそあれ、厳粛な雰囲気を漂わせているが、この江島神社は正直なところあまりそれを感じなかった。江の島自体が観光地であるため皆が皆(自分もそうであったように)、参拝目的ではないであろうし、岩屋に続く道には土産物屋や食べ物屋が軒を連ね、賑わいを見せる。また三つの宮も順路に沿って在り、参拝者が長く滞留しないのも理由のひとつかも知れない。しかし藤沢市によるとコロナ以前の年間観光客数は1900万人程度。その内の何割が江の島を訪れているかは定かではないが、結構な数であろう事は想像に難くない。参拝が目的でなくとも圧倒的多数の人が、自然がもたらす景観の美しさを感じ、少なからず神や神社を意識するのではないか。江島神社は他の神社とは異なる在りようで、その役割を十分果たしているのだろうと思った。


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追記

十二月三十日、一年を大過なく過ごさせて頂いた感謝を伝えに、氏神様である山田神社を家族で参拝した。このように家族して参道を歩けることを有り難く感じた。


龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 11






















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