磯崎さんからの学び(後編)
(承前) 2018年の年末、1通のメールが届きました。
そこには以下のように記されていました。来年2019年9月に大分市美術館で磯崎新の展覧会が企画されていること、建築の仕事はアートプラザで常設の形で紹介されているが、今回は磯崎の建築外の仕事を中心に紹介することになったこと、私には建築のキュレーションの部分を担当をお願いしたいこと、全体を統合する建築デザインが専門のキュレーターAric Chenが沖縄に打ち合わせに来るので同席されたいこと。
メールには磯崎さんのメモが添付されていました。
自動生成する<都市>担当とのことでした。ちょうど『ちのかたち』(2018)で「deep Learning Chair」を発表した年でしたが、磯崎さんがそれをご覧になったのかはわかりません。「海市2.0」がきっかけだったのかもしれません。
2019
そこから沖縄へ飛び、磯崎さんの沖縄の新居へと伺い大分市美術館で開催される予定の個展のキュレーションをお手伝いすることとなりました。展覧会の組み立てプロセスは岩波の建築論集の編集作業にも似ていて、目の前に誰かを座らせると磯崎さんのスイッチが入っていく、そんな感じでした。
印象的だったのは展覧会の方向性を整理をする場面で、Aricが出す思想家の名前をネットでささっとチェックし、「今回はポストコロニアルはやらない」などと峻別する場面でした。目の前に座らせる「誰か」はわりと厳選しているということがわかりました。
展覧会は「磯崎新の謎」展と名付けられ、の会期は9月27日から11月24日まで、10ヶ月弱で一気に組み立てられました。オープニングの9月26日、Aric Chenが「あまり手伝えなかったけど大丈夫?」と聴いてきましたが「前(岩波のとき)もそうだったから大丈夫だと思う!」と応えておきました笑。
オープニング後、大分市内で開催されたパーティではアートプラザの保存運動の時の立役者らが多く集まっていました。私は磯崎アトリエの中国人スタッフの集団と同じ円卓になりました。彼らは欧米の一流大学の出身者で、優秀で、WeChatが大好きな若者たちでした。リーダーも若々しく、いつまでも若い磯崎建築の原動力を感じました。
展覧会を準備している最中の2019年5月19日、法政大学市ヶ谷キャンパスにて開かれた「磯崎新特別講演会:東京は首都足りうるか~大都市病症候群」は、東京で開催された最後の大規模な講演会のひとつではなかったかと思われます。法政大学では磯崎講演を皮切りにシリーズが始まり、企画者のひとり北山恒さんによれば最初の3回(原・高山・吉見)と次の3回(長谷川・太田・相馬)がそれぞれ連続していて、7回目の私は磯崎さんから続く一連の議論を引き受けてそれを統合する役割とのことでした。
なかなかハードルは高かったが直前回の吉見俊哉さんの講演における「上野から湯島一帯を文化資源区として今後の東京の象徴軸にしていく」という提案が刺激になり、私も「POST SPRAWL TOKYO 大都市の時代の終わり」と題し、東京の歴史の分析から入り、磯崎さんのいう「大都市病」を私なりに位置付けつつ、臨海副都心をこれからの東京の「超都市化」を考える起点として位置付ける都市論ー都市設計論的な提案をさせて頂きました。
翌日難波和彦さんの日記では「今日のレクチャーは典型的にコールハース的である」「初期の建築にはコールハースのような批評的表現が垣間見られた。しかし最近の建築からはそれが消えて民主主義的で優等生的な建築になっている」「コールハース流の〈paranoia-critical method〉が欠けている」とご指摘いただきました。
2008年以来、磯崎さんと展覧会やシンポジウムでお会いするときの批評モードと、建築を設計しているときやまちへ出て活動している際の実務モードが乖離してしまう感覚があったのですが、書籍や展覧会を組み立てる磯崎さんを間近で見て、ようやく自分の中の建築論や都市論と建築・都市設計論をつなぐ回路が見えたように思いました。磯崎さんと接点を持たせて頂いた10年間での最大の学びは批評と実務の結び方であったのだと思います。
パンデミックに突入したのはそんな最中でした。
2019年のお正月にご自宅に伺ったのが昨日のことのように思い出されますが早4年前。まさかのパンデミックでかくも鮮やかに磯崎さんの予想通り<大都市Metropolis>の時代が終わり<超都市Hyper Village>の時代に突入。ご本人がどう感じておられたか伺ってみたかったですが叶わぬ夢となりました。
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今思えば2009年の『思想地図』をきっかけに多くの接点を頂き、会話の断片からいろいろなことを学ばせて頂きました。磯崎さんは自らの建築思想や建築論を形成する30代から40代にかけて、最も影響を受けた建築家なのかもしれません。限られた接点を持つだけの門外漢の私ですらこれだけの議論に巻き込んで頂いたのですから、磯崎さんに関わった人の数だけ様々なディスカッションとドラマが生まれたものと推察します。心よりご冥福をお祈り致します。