全力発揮できる身体を作る動法
モンゴル出身の力士が強いのは、小さい頃から親の手伝いで重労働してきたからだと聞いたことがあります。
それによく似た話をあるお母さんから聞きました。彼女には柔道に通わせている小学生のお子さんがいるのだそうです。その柔道場に、おじいちゃんの先生がいて、その先生が「君たちは小さい頃に重いものを持ったことがない。だから柔道が上手くならない」と言っていたそうです。
僕にも心当たりがあります。中学生の頃、父親が経営していた送電線工事の会社でアルバイトをした時に、とんでもなく重い丸太を担いで山の斜面を登らなければならなかったのですが、僕は担ぐのがやっとで、歩くたびに丸太が肩に食い込んで激痛が走り、本当に死ぬ思いで運びました。
ところが、出稼ぎで来ていたおじいちゃんが、軽々とその丸太を運んでいくのです。僕の方が、はるかに筋力があるはずなのに、そのおじいちゃんに全く敵わない。軽々と肩に担ぎ、まっすぐな姿勢を保ちながらズンズン斜面を登っていきます。
謎でした。
その謎は整体協会身体教育研究所に入門したことで解けた
僕の師匠は、整体の開発者である野口晴哉先生の次男として生まれ育ちました。子供の頃から、自分の父親をつぶさに観察してきたと言います。
その時に気づいたのは、明治生まれだった晴哉先生の技を自分たちの世代の人間がどうしても受け継ぐことが出来ないということでした。
どうしてなのかを考え抜いた末に得た答えは、そもそも身体が違うということでした。
晴哉先生は明治生まれ。そして、晴哉先生が相手にしていたのは明治〜戦前生まれの人たちでした。
どこかに行く時には常に歩く必要があり、子供の頃から親の手伝いをしなければならなかった世代の人たちは、身体を一つにまとめて使う感覚が身についていました。
経験知の消滅
それが敗戦により、生活文化が激変し、暗黙知として気の遠くなるような時間をかけて伝承してきた身体を一つにまとめて使うための機会が消滅してしまった。
これは、なかなか気づかれにくいことですが、実は恐ろしい事態が日本に起きているのです。
身体を一つにまとめて使う経験を与えるのが幼児教育の第一歩です。
身体を一つにまとめて使う感覚が育っていないと必ず行き詰まる。
「ちゃんとしなさい!」といやというほど親が言い続けるのはここに理由があるのです。これは人間の本能なのです。
「ちゃんとする」や「行儀」という言葉は、「身体を一つにまとめて使う」ということなのです。これを躾と呼んできたのだと思いますが、今は虐待と同義語になってしまっている。
身体を一つにまとめることが出来ない人間が整体の技術を使うことはできない
ということに僕の師匠は思い至り、整体以前の身体教育として動法を開発したのです。
僕はこれにハマりました。
とにかく、苦しいし全然できないのです。
だけど、やればやるほど身体が活性化し、どんどん元気が出てくる。
あんなに強固だった鬱から脱し、自分の力で人生を切り開くことができるようになったのも動法のおかげです。
動法は、生活全般の中に学びのチャンスがあるもの
動法は箒の掃き方から武術的なものまで、その形態は無限にあります。
人生に問題が起こらないことなどありません。その問題に対処するために全力発揮(全集注)できるかどうかということが鍵になるのです。
全力発揮できる身体を育てるのが動法なのです。
3月から「生活から始める動法講座」をリモートで始めることになりました。
関連する僕のマガジンのリンクも貼っておきます。
興味のある方は覗いてみてください。