つまらぬものを書いた日
今日は副業の研修があった。旧態依然としたまま形骸化した研修は特別新しい学びがあるわけでもなく退屈で、座って話を聞きながらただやり過ごすのはなかなか苦痛だった。研修の最後に、研修を総括した所感文の提出があった。
研修に関して忌憚のない意見を書いて提出してください……と言うのなら、まだ一生懸命にダメ出しを書いたかもしれない。しかしこの所感文はそういうものではない。研修で何を学んだか、その学びをどう活かしていくか。会社が求める通りの、外面のいい、聞こえのいい文章が求められている。書いた文章はその場で監督官が目を通して、ここはもう少しこう書いた方が……なんて書き直しを命じられるくらいだ。そうして今日、俺は今年に入って書いた文章の中で最もつまらない文章を書いて提出した。
さっさと書いてさっさと帰るためだけに書いた、会社の求める型通りの感想文。会社の求めるものを完璧に仕立て上げる気概すらない。ダメ出しさえ出なければいい、60点でいい、行数だけ稼いで何となく最低限の見栄えとそれっぽい内容とを整えて出せばいい。書き上がったものは自分でも気分が悪くなるくらいに酷いものだったが、管理官は黙って目を通すとニッコリ笑って、「オッケーです。お疲れ様でした」と言った。何か大切な純潔を失ったような気持ちだった。
毎日こうしてnoteを書いて培った技術を使って、その場しのぎのクソみたいな文章を書いた。中原中也はこんな日の帰り道で、「汚れつちまつた悲しみに」と歌ったのかもしれない。イタズラ心でクラスメイトの鉛筆を隠した日、酔っ払って植え込みにゲロを吐いた日、初めて愛情ではなく性欲と好奇心で女を抱いた日、これまでにも様々な局面で何度も汚れつちまった人生だったが、また新たに汚れのスタンプがひとつ増えてしまった。あとひとつスタンプが増えると死後に送られる地獄が針山地獄にランクアップしてしまう。せめてもの懺悔にと、俺は帰り道に落ちていた空き缶を拾ってゴミ箱に捨てた。