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【ショートショート】最後の一つのドミノを

 最後の一つのドミノを置き、全体を俯瞰するとき、何を思うのが正しいのだろうか。
 それまで並べるのに掛けた長大な時間? それとも、何度も失敗を繰り返した難所?
 一つのミスもなく全てのドミノが倒れてくれるか、改めて一つひとつの流れを確認してしまうかもしれない。
 今の僕には分からない。
 その風景を見ることができるのは、最後のドミノを置いたその時しかない。
 だから僕は置くのだ。
 まず、一つ目のドミノを。
 だだっ広い部屋は、このためだけに借りた。バストイレ別のワンルーム。ウィークリーマンションでは完成させられないかも知れないと思って、借りる時に三ヶ月分の家賃を入れてある。これは覚悟だ。
 部屋の隅には、梱包を解いただけのドミノの山。壁にはこの部屋に描かれることになるドミノの設計図。そのための白紙をびっしりと敷き詰めるようにして貼ってある。
 そう、今はまだ白紙だ。僕の頭の中と同じ。この部屋の床と同じ。ありとあらゆる可能性に開かれた、完璧な白。
 一つひとつのドミノには、さいころを二つ合わせた模様が施されている。僕の手の中にあるのは、六と六を組み合わせた、合計十二のドットが描かれたもの。木製のドミノは漆黒に塗られ、ドットは白くその表面に穿たれている。それがこの部屋を埋めつくす時、今の僕はもういない。新しい何者かが、そこにはいるはずだ。
 親指と人差し指の間に挟まれたドミノを床に立てる。音はしない。床とドミノ、二つの木が触れ合う瞬間、僕の呼吸は止まり、完全な静寂の中で完璧な直立がドミノに訪れる。乾いた指先は床に屹立したドミノの平衡を乱したりはしない。初めからそこになかったかのようにドミノを離れ、次のドミノを掴むために僕の手に戻ってくる。
 かちりと小さな音が響いて、ドミノは倒れた。
 ふうと息を吐く。
 一つの失敗。それを何度繰り返したところで、僕の心は揺らがない。なにしろ、この部屋の権利を失うまで、まだ二ヶ月もあるのだ。これから訪れるさらなる失敗と絶望に比べれば、一つ目のドミノが立たないことなど、大した問題ではない。これが二つ目であれば、二つのドミノが倒れる。百個目のドミノなら、百個のドミノが倒れるのだ。一つのドミノを何万回倒したところで、その絶望の深さは桁が違う。
 とはいえ、少し妙だ。いくら僕が不器用だからと言って、あまりにもドミノが立たなさすぎる。
 自分の責任を問わず、物のせいにするなど、弱い人間のすること。そう思って生きてきた。しかし、僕は生まれて初めて、物を疑ってみることにした。自分の弱さを受け入れるのもまた、強さへの道だ。
 ドミノを検める。これまで長い時を、そしてこれから更に長い時を共にするドミノを疑うのは心苦しい。しかし、お互いの信頼を築くには、腹を割る必要がある。僕がドミノを検めるその時、ドミノもまた僕を検めてくれればいい。僕には二つの目しかないが、このドミノには十二の目がある。どうぞ、じっくりと僕を検めてくれ。
 案の定というべきか、ドミノは正しくドミノであった。その仕事に雑なところは何もない。
 それならば。
 僕は今一つの可能性を試さねばなるまい。
 一般に、床の傾きの許容範囲は、新築で0.17度以内、中古住宅では0.34度以内らしい。スマートフォンはそんなことまで教えてくれる。さらには、水準器のアプリも用意されている。立ち上げて床に当てる。
 7.02度――おまけに、これがどういう傾きかまで説明が表示されている。
 牽引感、めまい、吐き気、頭痛、疲労感、そして睡眠障害を引き起こす。
 どうやら、この一ヶ月、ほとんど眠ることなくドミノを立てつづけられたのは、この部屋の傾きのおかげだったらしい。
 この割れるような頭の痛みも、部屋の影響であって、僕自身の頭がどうにかなったわけではなかった。
 全ては僕に味方している。
 世界の祝福に報いるためにも、僕は置くのだ。
 まず、一つ目のドミノを。

Photo by Marco Lermer on Unsplash

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