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【ショートショート】火刑のロミオ
もう、一銭もない。ズボンのポケットをひっくり返してみても、埃しか出ない。靴底の裏に入れていたはずの紙幣は、いつの間にか使ってしまっていた。ジャケットのポケットには穴が空いていて、ジャラジャラ音を鳴らしていた小銭はそっくり消えた。
だから、手首に仕込んでいた手品用のマッチだけが財産だった。
マッチを灯して幸せな風景を見ながら少女が死んだのはクリスマスの夜だったか。今は夏、マッチを擦ってもあたたかい気持ちにはなれそうもない。この数日、日が暮れても四十度を下回ることはない。
アスファルトが残っている場所を選んで、大通りを進んでいく。目の前には、空爆の傷跡深い中央広場。半月前は野戦病院さながらの風景が広がっていたが、今は誰もいない。その代わり、回収されないままになっている死体が、あちらこちらに散乱している。
広場の真ん中には円形劇場があった。学生の頃、ここで「ロミオとジュリエット」を上演した。ロミオ役は、当時、俺と数学の成績を競い合っていたライヴァルの男。あいつは、ロミオの役も、ジュリエットを演じた俺の初恋相手も手に入れた。数学の成績でも俺を下して鼻高々だったあいつは、数学を研究するために大学に進み、その後、フェローに選ばれた。三年前には、軍にも招聘された。その半月後、敵地で地雷を踏んで死んだ。
マッチしか持っていない俺と、マッチを持つこともできなくなったあいつ。どっちが勝ちなのかはわからない。いや、この勝負に勝者はいない。全ての人間が、敗者となって荒れ野で朽ちる運命だ。
そういえば、ジュリエットを演じた彼女は、どうなったのだろうか。気がつくと、舞台の上に立っていた。彼女の声が聞こえる。
「おおロミオ、どうしてあなたがロミオなの」
そう。どうしてあいつがロミオだったんだ。
手の中にはマッチ。俺がロミオであるべきだった。そして、俺が軍に招聘され、俺が死ぬべきだった。あいつじゃなく。
お前がロミオになる前から、ジュリエットはお前のものだったんだ。なにも、現実でまで悲劇を演じることはなかった。
気がつくと、マッチの火がジャケットに燃え移っていた。ステージを取り巻く死体がむくりと起き上がり、一斉に俺の方を見た気がした。
Photo by Jamie Street on Unsplash