【ショートショート】詐欺師は歩きながら眠る
詐欺師は歩きながら眠る。自分自身をだますため。あるいは、自分がだます人間であるということを、ひととき忘れるため。
そのことを、ソウヤは父から教わった。詐欺師だった母は、父をだまして結婚した。子どもであるソウヤが生まれたが、それは父の子ではなかったし、生まれて二週間のあいだ、父はソウヤが双子だと思い込んでいた。
「僕のお父さんはどこにいるの?」
「君に父親はいないんだ」
十歳になったばかりのソウヤには難しい話だった。
ソウヤが三歳の時、母がいなくなった。文字どおり、目の前から消え失せた。日曜の食卓、カランと乾いた音が床から響いて、そこにはピーナツバターがたっぷり乗ったバターナイフが転がっていて、テーブルの上には半分だけピーナツバターが塗られたトーストが残されていた。
あるいは、そこに母がいると思わされていた、というのが真実かもしれない。
三か月の空白の後、家の前を歩いていた母を父が見つけた。母は、歩きながら眠っていた。その手には、家の権利書と知らない名前の書かれた住民票があった。家族三人の新しい身分だった。おかげで、父は警察に捕まらずに済んだ。父もまた詐欺師だったが、腕のいい詐欺師ではなかった。母はこのとき初めて、自分が詐欺師であることを告白した。その時に謝られたかどうか、父は覚えていない。きっと、謝りはしなかった。なぜなら、その場で父は廃業を決めたからだ。父が母に謝ったからだ。
「母さんは、本当に鮮やかだった。だまされた人はみな、もう一度だましてほしいと懇願したものだよ」
それまで暮らした町から三百キロ離れた町に移り住んですぐ、妹のサナが生まれた。彼女もまた、父の子ではなかった。そして、母の子でもなかった。ただ、突然生まれたのだ。
「それって、サナおばさんのこと?」
ソウヤは当時から察しのいい子供だった。サナが見る見るうちに大人になっていくのに、自分が全く変わらないことに、すぐに気が付いた。
サナは母のコピーだった。だから、母や父と同じように、十年経てば十年分年を取った。
ソウヤが五歳になるのには、その倍の時間がかかった。そこからさらに五歳、年を取るには、その十倍の時間がかかった。
母は、ソウヤの意識をだました。時間の感覚をだました。世界の動きをだました。それが、こんな結果を生むとは考えもせず。
だから、サナがソウヤの年齢を上回って以来、母は歩きながら眠りつづけている。母は今、詐欺師だった自分自身から解放されて、ただ歩くだけの人になっている。その足音はとても静かで、床から浮き上がっているのではないかと思えるほどだ。
でも、分からない。ソウヤは自分がだまされている可能性を否定できない。足音にだまされているかもしれないし、床にだまされているかもしれない。もう八十歳を過ぎているはずの父は、もっとずっと若く見えるし、自分の膝と腰とが痛いのは、十歳にしては不自然だ。
それでも、このまま自分をだまし続けてくれる限り、母は母であり続けてくれると信じることはできる――
――のかもしれない。
Photo by Steve Shreve on Unsplash
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