【イントロダクション究極藝術宣言】
【イントロダクション究極藝術宣言00001】
何が究極で、何が藝術なのか、それは細かく定義しない。藝術とは究極をめざすものであるということを宣言する、そういう意味合いで捉えて間違いはない。白の上の白い正方形をシュプレマティスム=絶対主義として提起したマレーヴィチのように、「ART=・」を究極の作品として究極主義=アルティメッティズム?を提起しよう。
「ART=・」。
2020年06月26日に還暦を迎えた。だからと言って何が変わるというわけでもない。ただし、既に、晩年という時期を迎えて、自分が何も評価されず、
どこにも自分の場所を設けられなかったことは、やはり悔やまれる。そこで、この究極藝術宣言という文章により、ふたたび自分の思考と位置を検証し、確立する一助ともしたいと考えるのだ。
藝術は究極をめざす。それは、まさに、点を描く、しかも点をひとつだけ描く、もしくはふたつみっつだけ描く、まさにAlmost Nothing=ほとんど何もない、作品である。そこには点しかない。しかし、点を描きまくる他の作家のように、点による自己表現をするわけでも執拗にデザイン化するわけでもない。ただ、点がある=ただ、ひとつだけもしくはふたつみっつだけ点を描く。白地に、地塗りした色地の上に。
究極藝術宣言。
アートの、藝術の、現代アートの究極が、ここにある。
「ART=・」。
【イントロダクション究極藝術宣言00002】
では、どこから究極志向は生まれたのか。
それは、マレーヴィチの絶対主義である「白の上の白い正方形」を知ったことが最大の要因だろう。そこから、自分の感覚として、究極の系譜が生まれる。マレーヴィチ、ラインハート、ケリー、初期のステラ、初期のビュラン、ジャッド、ルゥイットなどなど。批評家は彼らの作品を究極の作品とは捉えていないかもしれないが、私には究極を志向する最高の藝術だと認識したのだ。
そして、その究極の系譜を更新する作品として『ただ、点がある=ただ、ひとつだけもしくはふたつみっつだけ点を描く。白地に、地塗りした色地の上に』描く点描作品「ART=・」に到達したということだ。
そこで人は点を支持体を見るだけだ。
ほとんど何もない=Almost Nothing、それが究極の藝術のもたらす極致なのだ。
点描作品は究極の藝術として増殖を始めるだろう。