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本の森散歩9『ショート・ショート・キョート』作:おおえさき(淡交社)
クスッと笑えて、ちょっぴり沁みる…「ホンマの京都」のマンガ!
本書は、京都出身のイラストレーター・マンガ家のおおえさきさんが京都の日常を描いたショートショート作品集である。
京都の日常をクスッと笑える一コマで紹介してくれる。ひと言メモも付いていて、へえ、となる京都の豆知識がたくさん盛りこまれている。
私は父親が京都の出身なので、ちょこちょこと知っている豆知識(鰻の寝床、八つ橋と生八つ橋の違い、等)もあったが、関西ではたまごサンドと言えば厚焼き玉子サンドイッチであるとか、祇園囃子の通称がコンチキチンであるとか、まったく知らなかったことのほうが多く、なかでも京都の碁盤目状の道を覚えるためのてまり歌「まるたけえびす」にはびっくりした。
「まるたけおいすににしおいけ~」とはじまっていくのだが、こんなの初めて聞いたら摩訶不思議な呪文である。
いや~、京都は奥が深い(……て、感心するポイントが浅すぎるか)。
私は定期的にひとり旅に出かける。かつては海外まで飛んでいったこともあるが、最後に行ったのはもう10年も昔の話で、この頃はもっぱら国内旅行を楽しんでいる。
そのなかでも京都は避けていた場所の1つだ。理由は明確で、いつ行っても観光客が街から溢れているからだ。10年ほど前にふらりと京都を訪れ、地下鉄・バスを利用したとき、あまりの海外からの観光客の多さに度肝を抜かれた。しかも訪れたのは平日である。平日の夕方にこの量の観光客がいるということは、土日は果たして……。と、すっかり尻込みしてしまった私の頭の中から、旅行の候補地として京都は除外されてしまった。
ちなみにこの時、京都を訪れたのは左京区にある書店「恵文社一条寺店」を訪れるためだったが、10年経った現在ではその時の記憶もおぼろげで、何の本を買ったのかも覚えていない。
さて、そんな風に足が遠のいていた京都を久方ぶりに訪ねてみた。どうして訪ねてみようかと思ったかというと、おおえさきさんのイラスト展「ペパーミントのひとりごと」(会期:2023年6月13~19日)が恵文社一条寺店で開催されることを知ったからだ。ちょうど別の目的で関西を訪れることになっていて、それならば、と京都まで足を伸ばしてみることにしたのだ。
おおえさんはFM KYOTOで毎週日曜日の夜8時から放送中のラジオ番組「FLOWER HUMMING」のDJというお仕事もしている。私は2023年の春からこの番組を聞くようになり、その中でおおえさんから個展の告知があったというわけである。
ラジオDJとしてのおおえさんは、京都弁で日常のちょっとした一コマをさらさらと語るのだが、その響きがやわらかく耳にここちよい。80年代邦楽やジャズも大好きで、あ、この曲なつかしい、と思うような曲がイヤフォンから流れてくることもある。
ここで告白しておくと、私はこのラジオ番組のファンというわけではない。聞く週もあれば聞かない週もある。さらに言えば、おおえさんのイラストがめっちゃ好きやねん、というわけでもない。というか、おおえさんのイラストはほぼ見たことがなかった。
人によっては訪れるイベントの下調べをするのだろうが、私はそういったことは一切しない性質だ。おおえさんが会場で似顔絵コーナーを設けていることも、訪れる前日になってようやく知ったほどだ。
それでも個展まで足を伸ばしてみた。片道4時間以上をかけて、てくてくと。
20代のひとり旅をはじめたばかりの頃は、ガイドブックに載っている観光名所ばかりを巡っていた。正直、楽しくはなかった。人は多い、店は混む、なんでわざわざこんな嫌な思いをしているのだろうか? と旅先で自問自答することが何度もあった。
その一方で、理由がないと旅立てない自分もいた。この有名な場所を目指す、だとか、この人気のお店に行く、といった大義名分が必要だった。
旅に出るなら楽しまなくてはいけない、と思いこんでいた。
それが今では、ひょいと思いつきで旅に出るようになった。20代の頃のように入念な下調べをすることもなく、その場の思いつきでコースも変更してしまう。旅がイベントから日常の延長に変わってきたということなのだろう。
40代になり、ようやく気ままなひとり旅を楽しめるようになった。
そうして訪ねてみた京都は、10年前に訪れたときと同じく観光客で溢れかえっていた。夜の四条河原町など人の多さに引いてしまい、乗っていたバスを降りるのを止めて数件先のバス停まで乗り続けたくらいである。
でも、以前のような息苦しさは感じなかった。
てくてくと京都の街を歩く。地下鉄に乗る。バスからの街並みを眺める。叡山電鉄に揺られる。実際にその場所に行き、歩くことで、記憶が足裏に刻まれる。
会社と家を往復する毎日。そのなかで、ふと過去の旅先の記憶が思い出されることがある。それは決まって歩いている最中にやって来る。本のページをめくるように、脳内に旅の風景が映し出される。わざわざ遠いところまで足を伸ばし、てくてくとその土地を歩いてみることには、そういう価値があると思う。記憶が甦ってきたからといって何か得をするわけじゃない。でも、脳内でふいに開く旅のアルバム帳が自分の頭の中にあるという人生は、悪くないんじゃないかな、と思う。
見えてきた恵文社一条寺店の店構え。ああ、こういう店だったのか、これは良い書店だ、と思いつつ書店の中に足を踏み入れた。おおえさんの個展は隣のギャラリーで開催されているようだ。私には本丸を目の前にして一度迂回ルートを取る癖がある。心の準備を整える間がいるのだ。というわけで、てくてくと書店の中を見て歩く。気になった本に手を伸ばし、CDの試聴をして心の準備運動をする。やがて心が整ったところで、よし、とギャラリーに足を向けた。
ギャラリーは雑貨スペースと併設されていて、おおえさんのイラスト原画が何枚も飾られていた。というかご本人がいて、今まさに家族連れのお客さんの似顔絵を描いているではないか! おお! と心のなかで歓声を上げながら、しかし外から見たらまったく平静のまま掲示されたイラストを見ていく。
ほんわかとしたやさしい手触りのイラストたちだ。さわやかで、クスッとしたユーモアがある。それでいて、一滴くらいの分量のさびしさも見て取れる気がした。動物のイラストもたくさんあった。犬も猫もとぼけた顔をしていて、見ていると心がなごむ。
おおえさんってこういうイラストを描く人なのか。
背後からは、ラジオから流れてくるのと同じ声がリアルタイムで会話をしている。お客さんが緊張しないように気さくに話しかけている。個展に足を運んでくれてありがとう、という気持ちが声から伝わってくる。
ひょいと視線を会場に置かれたテーブルに向けると、黄色い本が載っている。『ショート・ショート・キョート』である。この本のことは前からネットで見て知っていたが、ネットで買うのはもったいないような気がしていて、あえて買ってはいなかった。展示用かわからなかったので店員のお姉さんに訊ねてみると、購入可能の商品で、これが最後の一冊とのことだった。
買いである。
その土地に旅にして、その土地だからこそ買いたい商品というものがある。
自分にとっては本もその一つだ。
この『ショート・ショート・キョート』は、私にとっては「京都の恵文社一条寺店で買った『ショート・ショート・キョート』」となった。
次に京都のことを振り返ったとき、私は恵文社一条寺店を思い出すだろうし、『ショート・ショート・キョート』のことを思い出すだろう。
ささいなことだけれど、そういう小さな旅の風景が自分の中に記されるというのは、幸せなことだなあ、と思う。
『ショート・ショート・キョート』の中には「さきさんぽ」という作品も入っていて、これを読むとおおえさんが散歩好きであることがわかる。目的地もなく、てくてくと気の向くままに足を向ける。そうやって日々を歩く中でおおえさんが目にした京都の景色が、この本の中にはスケッチされている。
クスッと笑えるのだけれど、時折、次のような言葉とも出会える。
会社で嫌なことがあった女性が、自宅で出汁巻玉子を焼きながら、胸のうちで呟く。
なんで、怒ってるときに作る出汁巻は、キレイに巻けてしまうんやろう。
昼下がりの空いた叡山電車に乗っている青年が、窓越しのほんわかした陽光に包まれながら、うとうとしつつ、こう思う。
…もし天国とかがあるんやったら、こんな感じのところがええなぁ…。
人は人を通して、その土地と出会う。
本も人である。
『ショート・ショート・キョート』という、ほんわかした本を通して、ほんの一歩分、私と京都の距離が近づいた。