秘密の授業: 大学生活の裏に潜んでいた発見 〜部活編 #3〜
全国大会準優勝という結果になり、当時の私の感情は「出来すぎ」だった。
思ったように獲得できなかった年下部員、バイトをするという理由で減った練習量。
全国のレベルを見ても、私たちが全国優勝できるとは正直思っていなかった。でも、もう一度あの舞台に戻る。あのワクワク感をもう一度自分がチームの中心になって味わいたいと思った。
最後の大会
約束していた引退のタイミング
私の引退する時期は3年の夏までと決めていた。
この事に関しては1年の頃から言っていた。とある外部コーチが来た時に、「4年までフットサルを続けない奴はやめた方が良い」と全体ミーティングで言われた。
大学選びについて書いたこの記事を見ればわかると思うが、大学生活の中で海外留学には絶対に行きたいと思っていた。
だから、一年生ながら、そのミーティングが終わった後に「辞めた方が良いですか?」と確認した。
すると、「留学した人は過去にもいた。やった方が良いと思うから例外」と言われ続けることが出来た。
今でも覚えている。そうやって言いに行ったのは私たち1年生の代で私ともう一人だけ。それ以外で辞めた人は、その人との約束は破った事になる。
私自身、その留学準備をしないといけなかった為、3年の夏の全国大会が最後と決め、臨むことにした。
その大会が来るまでのモチベーション
全国大会2位からその大会の予選まで約5ヶ月ほどあった。まだなかなか体育館も使えず、モチベーションが続かず同級生で辞める選手も出て来た。
またその選手たちがチームにとって核を担う選手であったため、他の選手への精神的ダメージも大きかったと思う。
でも仕方なかった。フットサルを第一優先に出来ない選手が、この部活で続けることはできなかった。
迎えた当日
そんな「少しの不安」と「大会の為に練習を続けてきた自信」が入り混じっていた。しかし結果は、
福岡県予選敗退
試合が終わり整理するまで時間がかかった。またその現実を受け入れたくなかった。「油断するなよ」と言いながらも、心の中で全員がここで負けるはずがないと思っていた。
負けたチームには必ず理由がある
時間が経ち、なぜ負けたのか考えた時、答えとして出たのは
「負けたチームのキャプテンと副キャプテンは今だにフットサルを続けている」ということ。
フットサルに対する「熱力」が負けていたのかもしれない。
私たちは、たくさんの機会を与えてくれる監督に甘えて、「主体的」もしくは「貪欲」にフットサルを学ぼうとしていなかったのかもしれない。正確に言うと、そういう選手が少なかったのかもしれない。
負けチームには必ず理由があると言われるが、今になってもそれぐらいしか思い浮かばない。でもそれがもしかすると大きな要素になっていたのかも
しれない。
そして、試合が終わった日の全体ミーティングで、チームを離れると改めて話した。私の立場的にもしかしたら、残った方が良かったのかもしれない。
でも、自分が決めたことを信じて、辞める決断をした。
唯一の後悔
マネージャーに対する後悔だ。同級生にあんなに本気で支えてくれるマネージャーがいたのに、私たちの代で全国を経験させてやれなかった。
自主練習にも毎回きて、コロナのキツイ時期、来ない選手がいる中でも文句言わず毎回来てくれてた。
その二人に対する申し訳なさと、不甲斐無さ。その有り難みをもっと当人たちに伝えるべきだったし、そう感じていたからこそ、他の選手にももっとその大切さを共有すべきだった。
感謝を伝えていない選手も多かったはず。感謝を伝えるのは最後だけじゃなく、そう感じた時に伝えないといけない。
大学で部活をやる価値
大学部活の難しさ
言ってしまえば、ただの公立大学の部活。誰もその部活をしにその大学に入学してきたわけじゃ無い。私自身も入るつもりが無かったことから、部員を集める事は難しいし、モチベーションを維持させることはもっと難しい。
もっと遊びたい。私自身、飲み会を断って練習や試合に行くこともあった。
それに釣られて行くやつも当然居る。そういう選手は許さないルールだったからそういう人は辞めていった。
そのバランスが本当に難しい。
そこまで熱い奴が集まるのか?入るきっかけも人それぞれだし、ポテンシャル高いのに入っていない人もたくさんいる。
「熱さ」だけでは勝てないことも分かっている。ポテンシャルのある選手を勧誘して、そいつらが同じ方向を向かないと絶対に勝てない。
1人だけ突っ走っても、そいつが浮いてしまうこともある。だからオンとオフのバランスを取りながらチームが同じ方向を向いて努力しないといけない。
言葉では簡単だけど、これを4年間(私の場合は3年間)続ける事がどれだけ難しいかを体感した。
それを伝えるために
引退して約2年経った大学5年生の夏。留学からも帰ってきて次の目標に向かって勉強していた時、一つ下の後輩から電話がかかってきた。
「県大会優勝したけど、GKが怪我したから九州大会に出てほしい」そんなお願いの電話だった。
非常に悩んだ。向こうからしたらただGKがいなくて、私を誘ったわけだが、多くの葛藤、悩んだ事からただの「助っ人」でチームに戻ることはしたく
なかった。
自分自身が本当にフットサルをもう一度やりたいと思ってたら、留学から帰ってきた1月のタイミングでチームの練習に行っていただろう。だからそのような形でチームに戻るということはしたくなかった。
絶対にしたくなかったのが、「大学フットサルを中途半端にやること」。
個人的にこのような形で戻りたくないという気持ちと、シンプルに後輩は困っているという天秤にかけられた。また、何だか後輩たちがフットサルを少し舐めてやっているような気もしていたのでそういった意味でも戻りたくなかった。
この大学フットサルで学んだことを思い出した
「あんまり自分だけで考えすぎるとマイナスな方向に考えてしまいがち
だから、色んな人の意見聞きなよ」
悩んでいた時、先輩がくれた言葉だった。
そして、こんな言葉を思い出した。
「お前らなんてチームメイトとも思ってねぇからな」
私が1年の時に四年生の先輩が他の四年生のチームメイトに放った言葉だった。
その先輩以外の他の四年生は、様々な理由で2年や3年のタイミングで辞めていた。しかし、みんなそれが落ち着き、またやりたいと思い4年のタイミングでポツポツ帰ってきていた。
しかし、ずっと辞めずに続けてきたその先輩からすると、全国が決まりそうだから帰ってきた、中途半端に出れると思って帰ってきたと思い、腹が
立ったのだろう(真相は知らない)。
少なくとも、当時その言葉を聞いた私はそう感じた。
それを言った人はチームの精神的リーダーで、当時のキャプテンが一番信頼を置くほどの人格者だった。
その人に聞くとどう思うだろう
そう思い、久々に連絡してみた。そこで得たことは、
「自分がどうしたいかを優先すること」
もっと詳しくいうと、自分が後輩のためにどうこうしようとしてもできない時がある。また、その行き過ぎた情熱は後輩を冷めさせたり、自分の不甲斐なさにも繋がる。
だから、最初に「俺はこういう人間でこうやってしたい!」と話して、それで無理だったら時間の無駄になるから辞めるということだ。
その人の意見を採用することで、私自身、先輩たちに顔向けもできる。誰かは「九州大会という良いタイミングで帰ってきてせこい」。また誰かは
「そんな中途半端にやるなよ」と言ってきたりもするかもしれない。
でも、そのみんなから信頼を寄せられていた先輩と話し、認められたことで周りの意見を無視できると思った。
ただの意味付けだったのかもしれない。でもその意味づけが当時の私にとっては必要不可欠だった。
九州大会出場決定
結論から言うと、しっかり自分の役割を果たせた。後輩GKたちにバトンを繋いであげれた。成功したことを長々と振り返るとただの自慢みたいになるので、手短にまとめる。
「今までの失敗を活かした」
最後の試合に負けた原因は?
→フットサルに対する熱量
1ヶ月くらいそれを中心にしてみた。
遊びも断った。フィールドの練習メニュー調べ、また戦術も再確認した。
コンディションをピークに持っていくため、自分で考えて行った。そのチームで一番フットサルを理解している、全国準優勝のキャプテンのような意識で1ヶ月を過ごした。
「周りを巻き込んだ」
私が言い過ぎると、その響く言葉も薄れていく。マンネリ化していくと思い、そのキャプテンにお願いし、練習に行かせてもらったし、来てもらった。
そして、自分で解決できない課題にも直面したので、それを私より圧倒的に知識のあるその先輩に聞いて、落とし込み、九州大会までの不安要素をできるだけ取り除いた。
上手い人から教えてもらうことが一番説得力があることも分かっていたからお願いした。
「メンタルの持ち方」
かなり前に参加したプロフットサル選手のクリニックでとても良い言葉を学んだ。誰かがその選手に「緊張しない方法はありますか?」と質問していた。
その選手の答えは「圧倒的な練習量。絶対にこいつらより練習してるし、不安なところもない。そんな自信があれば緊張をしなくなる」と言った。
試合当日を迎えた私は、全く緊張していなかった。その事を覚えていて、やれることも全てやっていたからだった。
「これで負けたら仕方ない」そんな気持ちだった。
試合で負け越していた時も、冷静にチームメイトに声をかけることができた。一番経験のある自分が迷ったら、他のチームメイトも迷ってしまうことも分かっていた。
「後輩たちの頑張り」
上記三つはわたし自身のこと。あくまでチームスポーツなので、ここが無いと勝てない。最初に「本気でやらないんだったら俺は一緒に戦わない」と
言って始めたが、不安はなかった。技術的には私が1〜3年でやっていた時と比べ大きな差があると思っていたが、熱量が十分あったので戦えると思っていた。
彼らには彼らなりの想いがあり臨んだ大会だっただろう。私とバックグラウンドは違っていても目標が同じだったため、こうして九州優勝を成し遂げることができた。
まとめ
そんなわけで私も大学を卒業し、北九大フットサル部OBとなった。凄く思い入れもあり、今後も是非とも応援したいと思っている。良い時も悪い時も
経験出来たことで大きく成長できた。
コミュニケーション力の高い監督から得た、初対面でも積極的に話しかける大切さ。
多くの助言をくれ、私が「入るきっかけ」、「続けるきっかけ」を与えてくれた先輩方
一番時間を長く過ごした同級生のメンバー
今までのスポーツ人生で一番感謝を感じたマネージャーたち
その他フットサルで関わった全ての人たちのおかげでフットサルの技術だけでなく一人の人間として大きく成長できた。
大学で部活をやる意味
それは、サークル、愛好会では味わえない社会人になる前に役立つ人間的成長。
→サークルじゃこんなに外部と人と関わることはない。
そして普通の人には味わえない最高の場所、全国大会。
→言語化することが出来ない、味わったことも無い最高に楽しい場所を経験出来た。
これらを味わえていない大学生は可哀想だなと思うくらいだ。
バイトに行くだけ、大学までの浅い友達と無駄な飲み会に行くくらいなら、本気で一生の友達を作れる部活に入った方が良いと思う。
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