秘密の授業:大学生が休学するべきワケ〜海外留学編#1年の総括〜
マルタ共和国
語学留学の現実
4月〜7月の3ヶ月、マルタ共和国に渡った。エージェントに全てお任せにしていたため、何でも良くて、Club class Maltaという英語の語学学校に通った。ただ、私の想像する留学とは大きく異なる現実に直面する。
「日本人多すぎ!!」
初日、寮の同部屋も日本人で、2日目から入ったクラスの8割は日本人だった。
エージェントに全てお任せにしていた分、日本人人気が多い所、ヒットしやすい学校を選んでしまっていたみたいだった。
ただ、そこで流されなかったのは大学の友達の存在があったからだろう。
そして、多くの先輩から「日本人と絡むと終わり」と口酸っぱく言われていたので、極力避け、外国人に話しかける意識で3ヶ月を過ごした。
逆境から導き出した答え
この逆境、せっかく「来たのにお金を無駄にしたくない」という気持ちが私を成長させてくれたと感じている。
あくまでデンマークのための留学、語学力向上を目的としていたため、「どうやったら英語が上達するか?」ということを考え続けた。
この問いに対する私の答えは「自分より英語が上手い人と喋る」だった。
そこから逆算して、多くのアクションを起こした。
日本では誘われ待ちの私が、沢山遊びに誘った。サッカーのコーチ経験があったので、地元のチームに直談判してボランティアでコーチをさせてもらった。筋トレもやり方分かってるのに、トレーナーにメニュー組んでもらい、ほぼ専属トレーナーみたいな感じで教えてもらった(学校の施設だったからタダ)
それらを通したおかげで、授業中の英語での発言も物怖じしなくなり、英語力向上というより、英語を話す度胸が身についた。
入学当初は、的外れな回答やよく分からない回答で笑われた事も沢山あったが、終わる頃には「この3ヶ月ですごい英語が伸びたな!」と先生や友達から言われめちゃくちゃ嬉しかった。
デンマーク
私のフォルケホイスコーレ
フォルケホイスコーレって何やねん。
本当に多く聞かれ、このような説明をもうかれこれ100回以上してる。
その中でも私が通ったフォルケホイスコーレは、
正式名称:Idrætshøjskolen Bosei
Boseiフォルケホイスコーレ(Folk high school)という首都コペンハーゲンから南に電車で2時間の自然豊かな場所にあった。
ここにも書いたように、私は第一志望の学校に2度落選した。
その学校の親切なメール担当者のおかげで私が実際に通ったBoseiを紹介してもらったが、正直行くか悩んだ。というより、「行って意味があるのか?」となった。
というのもBoseiフォルケホイスコーレの詳細を調べると「日本語の授業」「武道・柔道」など、日本の文化が学べる学校としてデンマークでは位置付けられていた。日本人の私が当然、日本語の授業を受けるわけないので、他の強みを探そうと調べてみると「豊富なスポーツ」と出てきた。
正直、「プロを目指すわけでもないから意味ない」とも思ったが、「スポーツを通して人と仲良くなれそう」と楽観的な気持ちで行く事を決めた。
東海大学と提携していることもあり、日本人が多かった。その大学の生徒は
1ヶ月で帰るのだが、10人以上いたため、最初の方は日本人が学校の6分の1くらいを占めることとなった。
マルタの経験が生きた
「日本人を避け続けた」
これには理由があって、最初のインパクトは今後関係性を築いていく上で最も重要だと思う。その上英語が流暢ではない分、最初である程度外国人と関係を築けないと後々苦しいと思った。
最初の時期はみんな友達がいない分、一番チャンスである。
日本のプロ野球でラミレス選手がみんなから好かれていたような、愛され外国人になるイメージでとにかく「笑顔で」「積極的に」色んな人に話しかけた。
そして、日本人は後からでも仲良くなれる。また、俺が外国人と仲良かったら他の日本人も勝手にその輪に入ってくるだろうと思ってた。
「最初から積極的に話しかけて、いつも外人とばかりいて凄い凄いと思いました」とか後々他の日本人に言われたが、そんなの当たり前だ。
「高いお金を払ってきてるのに、何をしに来たんだ?」と心の中で思ってた。
マルタの時にもこれは感じたのだが、「他の日本人に流されない強い気持ちを持った留学生」は少ない。
この強い気持ちで留学生活を送れたのは、
「日本に信頼できる友達がいたこと」
「さまざまな修羅場を潜り抜けたこと」
「家族への思い入れ」
が関係しているのだろう。
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実際Boseiどうなの?
結論から言うとBoseiに行くことは「大正解」だった。
要素はたくさんあるが、1つずつ感じた事を全て丁寧に挙げていく。
最強のルームメイト
これははっきり言って強運だった。当時の私のルームメイトは同級生で、
前のセミスターにもいた2期目に突入したデンマーク人だった。
フォルケホイスコーレは春と秋、それぞれ半年ずつのセミスターなのだが、継続して1年にする人もいる。当然、17歳以上だったら誰でも入れるので、
お金に余裕さえあれば、3年だって5年だって居ることはできる。
彼は2期目だった(その学校で春セミスターを経験していた)ため、ほとんどの事を教えてくれた。そして、私の拙い英語も理解してくれようと真摯に向き合ってくれたし、何より嬉しかったのが「分からなかったらいつでも俺に聞け。デンマークの事は全て俺がサポートしてやるから」と言われた。
デンマーク語は分からないから携帯で代わりに注文してくれたり、私だけでなく困っている人を見たら誰でも助けてあげるような本当に素晴らしい
人間性の持ち主だった。
仲の良い友達でありながら、初めて同級生で心の底から尊敬できると感じる人でもあった。
その学校の中で1番ルームメイトにしたい人が私のルームメイトだったのだ。
その上、クリスマスには彼の家に招待してもらい、彼の家族と
クリスマスパーティーもさせてもらった。
彼に会えた事、ここまで親しい友達になれた事がBoseiに行った1番の価値
だったかもしれない。
行く前に持ってなかった観点
日本語や日本の文化を学べる学校ということで、日本人である私は
「何の意味もない」と感じていた。
しかし、そういう学校に行くということは
「日本の事が好きなデンマーク人が集まる」と言う事なのだ。
私が日本人なので、日本のことを興味津々に聞いてきたり、熱心な生徒には日本語を教えていたので、会話量は多かった。
他の学校ならここまで「日本に興味があるデンマーク人」はいないだろう。
特にアニメが好きな生徒が多く、私も大好きなので、そういった
「共通の話題」があることはとても大きかった。
リーダーシップを持った生徒の多さ
これははっきり言って「ただ運が良かった」。
その学校で3セミスターいた生徒が「このセミスターが一番楽しかった」と言っていた。
どこのフォルケホイスコーレもそうかもしれないが、割と「何もしない」
時間というのがある。文字通り何もしなくて良いのだが、退屈といえば退屈だ。だから、先生は「何かしたいことはあるか?」みたいな感じで集会で
アイデアを募る。
その時に多くの生徒が手を挙げ、イベントを開催した。そしてそのイベントに対して、例え「あまり興味がなかったとしても、少ないようだったら参加してあげる」といった大人の心を持った生徒も多かった。
「人間力の高い生徒が多い」、そんなセミスターだった。
担任の先生と私のグループ
他のフォルケホイスコーレにあるか分からないが、私の学校では担任制度をとっていた。
進捗情報を聞いたり、相談しやすい相手とするためにとっていたのだろう。
10人くらいからなる小グループにそれぞれ別れるため、日本人も結果的に
別れ、先生を含め、私以外デンマーク人というグループになる。
これは他のグループを聞いて驚いたのだが、グループワークでデンマーク語を使って話し合っていたらしい。
当然、最初の集会で「海外から来ている生徒もいるので公用語は英語にしましょう」というアナウンスはあった。
しかし、英語に自信の無い生徒、気が使えない生徒はデンマーク語を話してしまう。そういう風土のグループでは他の生徒も合わせてデンマーク語を使っていた。
私のグループでは100%英語だった。なんのストレスもなく、私が輪に入っていない会話の時でさえも英語で話していた。
なぜかというと、私の担任の先生は他の先生に比べ、とても私のことを
気にかけてくれていた。デンマーク語を使っている生徒に注意し、英語を
使うように促してくれていた。
当然自分自身で英語を話してくれるよう言うのだが、それを言うと「自分が何か話さないといけないプレッシャー」、「言い過ぎたら嫌なやつだと思われる?」というのを考え、多くは言っていなかった。
理解力のある生徒が多かった私のグループでは、それを聞き、合わせてくれた。その上、私のグループの生徒が他の生徒に注意してくれるなんてこともあった。
素晴らしい担任の先生とグループのメンバーに恵まれたのだ。
施設のレベル(第一志望との比較)
私の第一志望だったInternational People College (IPC)にも行ってみたいと
思い、ルームメイトの発案で、「違うフォルケホイスコーレを体験する」という小旅行を開催した。
施設を案内いてもらい、一日体験したが、個人的には残念な印象を持った。
なぜなら、施設のクオリティがBoseiの方が圧倒的に高かったからだ。
以下、私的に感じたBoseiの強みを列挙する
様々なタイプのコーヒー・ティーを飲み放題
ご飯の種類の豊富さ
シアタールーム
ボードゲームの豊富さ
サッカーグラウンド
体育館
バー(売店がある)
負けてるところはそれぞれの部屋にシャワーとトイレがあることくらい
だっただろうか。まぁ、私に的にそこまで大きな影響はないが
変わった価値観
海外から見た日本のイメージを知れたこと、デンマーク人の国民性、
社会構造をしれた事は大きな自分の中で大きなプラスになった。
日本では高校、大学卒業したらすぐに働かないとみたいな根深い文化があるから時間に追われている気がしていた。
この学校を通してその「働く」or「学校に行く」という典型的な選択肢以外を知り、人生に余白を持つことの大切さを知った。
フォルケホイスコーレを含めた様々な選択肢を持とうと思った。