久方ぶりに…(別れと出逢いと決意と)
1.はじめに
2022年に、出講する予備校を1社に絞ることを決意した際に、このままでは講師としての成長が止まってしまう、という焦りや怖さから始めることにしたこのnote。
前回更新した3月より、早速サボってしまい、自分に対する苛立ちや悲しみを覚えている。しかし、やはり授業をする度に、授業は所謂「英語」の指導に終始し、その先に見え隠れする講師の考えや、多くの学生さんがよく尋ねにこられる質問(勉強法などなど)に対する解答を示す場を別で創りたい、という想いが強くなり、noteに戻ってくることにした。
noteは授業研究の公開作業の一部、と捉えているので、それなりに定期的に更新し続けられるようにこれからは頑張りたい。
やはり、授業ばかりしていてはダメなのだ。アウトプットしかしていない学生とこれでは同じだと思う。
2.別れ
この春、というかもう少し期間を広げ、この1年、僕は様々な「別れ」を経験した。
数人の友達もそうだし、去年の生徒さんも当然ある種の「別れ」なのだが、しかし、例えば昨年の5月に祖母(父の母)を喪い、この3月に父を、そして4月に祖母(母の母)を喪った。
皆、遅かれ早かれ経験することだが、幸いにも近しい人を喪ったことがなかった僕にとっては、大変なショックであった。特に祖母2人は高齢であったため、心の準備は出来ていたが、父は所謂急死というものだったので、感情がなかなか追いつかなかった。
これまでの長くもなく短くもない人生から、僕には「死というものは突然訪れる。だから言い残すことのないように、愛も感謝も憎しみも全て言語化しておこう」というある種の人生観みたいなものがあった。それが功を奏して、祖母にも父にも、これを伝えておけば良かった…というものは何1つ無い。これは幸いなことである。そして、親族の死をもって、この人生観のようなものは、より輪郭がハッキリとし、より具体的なそれとなった。
今年も、愛や感謝、憎しみも全て言語化していこうと思う。授業でも、ダメなことはダメと伝えていきたい。僕は生徒と仲良くなりたくてこの仕事をやっている訳ではないのだ。頑張っている子の夢を叶えるお手伝いをさせて頂きたいだけなのだ。頑張れることは尊い能力なのだから。
3.出逢い
出逢いの対象に関してはもう言うまでもないだろう。
沢山の生徒さん達である。
ざっと計算して、700人以上の新しい生徒さん達に、この春から授業をさせてもらっている。
様々な感情をもってして、新生活に取り組んでいることだろうが、今年もアツい気持ちを持って、真剣な眼差しを向け、全力で取り組んでいる子達が居る。彼らのお陰で、忙しく過ごしていることもあり、そのことにより僕の悲しみを幾ばくか消えているのだと思う。
よく、講師も生徒から学ぶことがあると言うが、本当にそうなのだな、とつくづく実感している。頑張っている人が目の前に居て、その人たちに「予習しろ」や「復習しろ」などと偉そうに発言しているにも関わらず、自分は勉強をサボっているのは、甚だ恥ずかしいことだと感じている。自分が頑張っていれば、それが節々に表れ、目の前の生徒さん達にも伝わるものだろう。少なくとも僕はそう思っている。
4.決意
上記内容が今回の決意だ。
僕は、人が見ている場でないと、自分で自分を追い込まないと絶対に進んで苦労をしないような種の人間だ。
生徒さん達が頑張るように、自分も自分の能力のブラッシュアップの為に、noteを使っていきたい。僕の勉強嫌いは治らないから、こうでもしないとサボり続け、少子化の波に絶対に飲み込まれると思うし。結局は、この仕事が好きなのだ。僕は生き残りたいし、目の前の生徒さん達には、笑顔で春を迎えて欲しいのだ。
5.おわりに
…ということなので、まぁこれからまた頑張っていこうと思います、何卒宜しくお願い致します。m(__)m
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