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22.Fラン大学不用論に反論する(第一弾)

1. Fラン大学不用論とは


Fラン大学とは偏差値においてボーダーフリー(偏差値が35以下あるいは算出できない)の大学のことをいう(FとはfreeのF)。昔からネットなどで不用論がいわれているがここで反論しておきたい。なぜならば、偏差値はその大学の入りやすさ入りにくさを表しているが、それと大学の良し悪しは関係がないからである。これから実務家教員を目指す皆さんが採用される可能性が高い大学がFラン大学かもしれないが偏差値に惑わされずに見極めてほしい。

2. 社会に出たら大学名は意味を持たない


私が大手企業の管理職だった時、どこに行っても仕事ができないとレッテルを貼られ、あちこちたらい回しされた挙句部下になった社員がいた。噂にたがわず仕事ができなかったが、大学は東大卒だった。
私がFラン大学の教員をしていた時のゼミ生は一部上場の大手企業に採用されたが、同期(早稲田慶応上智一橋など)の中で抜群の成績をあげ、今では中枢の企画開発部門で活躍している。ある機会にその企業の役員になぜFラン大学から採用するのか聞いたところ、企業には多様性が必要だから、という答えだった。偏差値の高い大学ばかりでは同質の集団になってしまい、活力が生まれない、とのことだった。
厳しいビジネスの世界では大学名など(社内に学閥があるような古い体質の企業でない限り)意味がないことは皆知っている。なのに、なぜFラン大学不用論がまことしやかにネットに流れたりメディアで取り上げたりされるのだろうか。

3.「Fラン大学は名前さえ書ければ入れる」は本当か?


現代の入試は大きく総合型選抜、指定校推薦、一般入試の三つに分かれる。これはFランでもどこでも同じである。
まず指定校推薦だが各学校に大学から指定された人数枠があり、希望者が多い場合には高校側で選考が行われる。また指定に当たっては大学側から評定平均何点以上という高校側の成績を指定している。もちろん評定平均は高校のランクによって同じ点数でも学力に大きな開きはあるが、Fラン大学でも指定校はある水準以上の高校から選んで指定を出している。なお指定校推薦では大学によって面接を行う大学と高校を信頼して面接を行わない大学がある。高校側がその大学の事を良く理解してくれていれば、面接しなくても問題はない。

次に総合型選抜(昔でいうAO)だが、各大学によって工夫を凝らして自分の大学あるいは学部の学びにふさわしい学生を採ろうとしている。例えば私のいたFラン大学の国際系の学部では、日本人教員とネイティブ教員の二人で面接を行う。これはたとえbe動詞がわからなくても海外に関心があり、外国人と積極的にコミュニケーションを取ろうとする学生を選びたいからである。文法的にめちゃくちゃな拙い英語でも、臆せずにネイティブ教員と積極的に話そうとすれば合格である。このような入試で採ったある女子学生は高校時代ソフトボールしかやってこなかった。入学時のTOEICの点数は200点台だったが大学の学びで成長し、留学にも行って卒業時には930点になった。彼女は英語教員を志し、無事母校の教員になった。
他の学部でもこの入試ではコンピテンシー能力や協働力を重視する。たとえ入学時に教科学力が低くても、プロジェクト型学習やアクティブラーニングなどで成長できる資質があるかどうかを見極めようとしているのだ。もちろん出願にあたっては高校の評定平均の基準を設けることで最低限の学力は担保しているが、そのうえで学力とは違う基準で評価しているのである(なお、高校からの調査書で気を付けるのは欠席日数である。日数が多い場合は面接で理由を質問する)。

総合型選抜と指定校推薦はまとめて年内入試と呼ばれるが現代では入学者の半数がこの入試で決まる。Fラン大学ではその比率はもっと高い。しかし大学はこれをそれほど問題視しない。なぜなら、志望度の高い、意欲ある学生を採りたいからである。そこで問題になるのが一般入試である。これは大学独自試験と共通テスト利用入試がある。どちらも試験の点数だけで入学する。もちろんFラン大学では合格ラインが低いことは否めない(それでも、たとえ定員に満たなくても不合格者は出る。特にボーダーラインぎりぎりの時、例えば薬・医療系学部では化学の点数、国際系学部では英語の点数が問題になる)。
問題は点数が高かった学生については不本意入学の可能性があること、またメンタルに問題のある学生やコミュニケーションに難のある学生も入ってくることである。そのような学生はたとえ学力が高くても、大学の学びに順応するためには、大学側は学生ときちんと向き合いフォローする必要がある。年内入試の学生よりも手間がかかる場合もある。

以上のようにFラン大学といえども名前が書ければ誰でも入学できるわけではない。必ずしも教科学力が求められるわけではないが、それぞれの大学、学部の学びに合った資質が求められている。

4.「Fラン大学ではbe動詞と九九を教えている」は本当か?


今の大学は勉強嫌いを大量に作り出した高校までの教育のつけを負わされていると言える。大学は勉強嫌いを払しょくし、学びへの意欲を掻き立てる最後の砦である。そのために何をしたらいいのか。過去には様々な試行錯誤があった。入学前教育(入試後入学までの間に大学が合格者に行う教育)で中学や高校の復習をさせたり、初年次教育で中学の復習内容を入れた科目を設定した大学もあった(この科目のシラバスを見た門外漢からFラン大学でbe動詞や九九を教えているという風説が流れた)。
しかし大学も大学教育も大きく変わったため、小中高と勉強に挫折して大学に入ってくる学生に対しては復習ではなく別のアプローチが必要になった。大学の変容についてはこのnoteの「14.昔とは大きく異なる学生の姿、なぜそうなったのか」及び「19.生き残る大学」をお読みいただきたい。

今では入学前教育や初年次教育で中高の英語や数学の復習を課す大学はほとんどない。例えば私のいた大学の国際系の学部では、入学前教育はネイティブの先生によるグループワークでプレゼンテーションなどをオール英語でやらせる。大学の英語教育は中高の英語教育とは大きく異なるので、それに慣れてもらうことが目的である。もちろんeラーニングで宿題は課すがとりあえずbe動詞はわからなくてもいい。それは入学後に学生が必要に駆られて自分で勉強するようになる。語学をコミュニケーションのツールとして考えられるようになれば、そして異文化に触れることの楽しさを覚えれば、そのために自分が足りないと思うものは自分で学ぶようになるのだ(大学は成長したい学生の支援に手を尽くす)。だからTOEIC200点が900点になる。

初年次教育では例えばPBL入門という科目がある。PBLとはプロジェクトベースドラーニングのことで、具体的には学生を(必修科目なので学部の全学性を)グループに分け、企業の方に来ていただいてその企業(例えばNTTやHISなどにご協力いただいた)が現実に抱えている課題についてレクチャーしていただいて、学生にお題を出す(例えば○○をもっと売れるようにするためにはなど)。学生は数か月かけて課題に取り組み、プラン作って企業の方の前でプレゼンテーションする(中間と最終と2回)。企業の方から講評をいただくが当然厳しいものになる。しかし1年の前期にこの授業をやることで、学生は自分に何が欠けているかを知り大学の学びが何のためにあるかを理解するようになる。4年間の学びへの意欲が高まると期待される。
もちろんライティングのスキルなど学生が高校までに十分身に着けてこなかったスキルはある。様々な学部で基礎ゼミという形でそれを補うための学習をするが、それも国語の授業をするわけではない。他の科目と関連したレポートを書かせたり、他の科目で興味を持った新聞記事をリポートして発表したりする。また、多くの大学では学習支援センターのような組織があり、個別の学生のレポートの書き方などわからないことの相談に乗っている。

もちらんFラン大学の学生と偏差値の高い大学の学生に大きな違いがある分野もある。しかしFラン大学がこのようなことをしているのは、目の前の学生を成長させることを第一に考えるからである。小中高で勉強に挫折してきた学生に、自己肯定感、自己効力感を持ってもらい自らの成長を実感してもらう。そのことが社会に出てからも学び続け成長できる人材を育成することになるのである。だから(多くの)Fラン大学ではbe動詞や九九は教えていない。

以下長くなるので第2弾に続く。
「Fラン大学の学生は就職できない」は本当か?
「Fラン大学に補助金を出すのは無駄だ」 など


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