バンコク 1997 Part1
その年、タイバーツが暴落した。
アジア通貨危機という言葉が
新聞の見出しを飾り、
世界が息を詰めて次の動きを見守っていた1997年。
私はバンコクのカオサンロードで
小さな商売を営んでいたが、
ここではそんな危機などどこ吹く風だった。
むしろ、通りは日増しに賑わいを
増していた。
バックパッカーたちが汗と笑顔を
まき散らし、ゲストハウスの軒先では
ビール瓶が乾いた音を立てて
開けられていた。
カオサンは、旅人の聖地であると同時に、
もう一つの顔を持っていた。
シルバーアクセサリーの卸売りの街だ。
私はその一角で、
知り合いの業者が構えるオフィスの
片隅を借り、細々と商いをしていた。
オフィスといっても、埃っぽい棚と
古びた扇風機が一台あるだけの
簡素な部屋だ。
そこに、ある日を境にネパール人の
行商人が顔を出すようになった。
肩に大きな布袋を担ぎ、
日に焼けた顔に笑みを浮かべてやってくる
彼らは、天然石のパーツを売り歩いていた。
ルビーの欠片やターコイズの塊を
手に広げ、「安いよ、いい石だよ」と
たどたどしい英語で勧めてくる。
最初は軽くあしらっていたが、
やがて彼らの訪問は日常の一部になった。
そんなある日、一人の行商人が
首にかけていたネックレスが目に留まった。
粗末な麻のシャツに似合わない、
重厚な雰囲気を放つそれは、
素朴さと神秘を同時に湛えていた。
よく見ると、先端にぶら下がる筒状の
ビーズに、象形文字のような奇妙な模様が
刻まれている。
黒と白のコントラストが、まるで古代の呪文を封じたかのように鮮やかだった。
私は思わず身を乗り出し、
「それ、なんですか」と尋ねた。
彼は少し間を置いて、穏やかな声で答えた。「DZIビーズだよ」
その言葉は、風にそっと乗って
私の耳に届いた。
天珠、と日本語では呼ぶらしい。
興味をそそられた私は、彼を椅子に座らせ、
詳しく聞くことにした。
彼は語り始めた。
ヒマラヤの山中で、五体投地を
繰り返しながら巡礼した日々のことを。
凍てつく風と焼けつく太陽の下、
祈りを捧げる旅路で、
このビーズがどれほど心の支えに
なったかを。
DZIビーズには伝説があるという。
神からの贈り物として天から
降ってきたとも、
地中を這う霊虫が石に姿を変えたとも
言われる。
不思議な力を持つとされ、
時にはこの世のものではない
原料が混じるのだと、
彼は目を輝かせて続けた。
天然石で作られることが多いが、
その中には説明のつかない
成分が含まれていると
信じられているらしい。
私はその話に引き込まれていった。
西洋ではウィジャボードを使った
怪奇事件や、カトリック神父による
悪魔払いの記録が残っている。
スピリチュアルな世界には以前から
惹かれるものがあったが、
DZIビーズの存在を知ったのは
この瞬間が初めてだった。
目の前の男は、ビーズを指で
そっと撫でながら、
「これを身につけると、
悪いものから守ってくれる」
と付け加えた。その仕草は、
まるで古い友人に対する
愛情のようだった。
カオサンの喧騒が窓の外で響き合い、
扇風機の羽音が部屋に低く唸る中、
私はそのビーズをじっと見つめた。
模様の一つ一つが、知られざる
文化の断片を語っているようだった。
ミステリアスな造形と、そこに宿る物語。
それは、私がこれまで生きてきた
世界の枠を超えた何かだった。
行商人は立ち上がり、
布袋を肩に担ぎ直すと、「また来るよ」
と笑って出て行った。
私は彼の背を見送りながら、
胸の内で静かに燃える好奇心を
感じていた。
その日から、私はDZIビーズのことを
調べ始めた。
時には夜遅くまで古い洋書をめくった。
カオサンの雑踏の中で、
私は新たな世界の扉を開いたのだ。
それは、タイバーツの暴落や通貨危機とは
無縁の、もっと深く
もっと古い時間の流れだった。