バンコク 1997 Part2

ジャイプールから来客があって、シロームの
ホリデーインホテルの5階のインドレストランで夕食をとった。
こちらは、洗練された優雅な環境ながら、
いつも席が空いていて、使い勝手が良かった。
今日の商談は、主にサファイア
 セイロン産の上物だった。
彼らは、エメラルドも1つだけ
持って来ていた。
それがユニークな代物で、100カラツトを
超える大きさなのだが、色が薄く
内包物や気泡の影響で透明度も低い。
一応、カボションカットになっている。
印象はとにかく大きい、そして存在感の
おかげか、透明度の低い割には
魅力的だった。

「う〜む、これは、大きいね。」
魅力はある石だったが果たして
日本で需要があるのか、
そんな事を考えながら言葉を発したのだが、

私の心の中を察したのか、
「ベルトのバックルに嵌め込んだら
ゴージャスですよ。」彼は言った。

マフィアのボスではあるまいし、
日本人で、そんな格好する人は
いないだろうと思いつつも、
その存在感と魅力に心を惹かれて
サファイアと一緒に仕入れる事にした。
自分用にとって置いても悪くないなんて
考えていた。

商談が終わり、食事をしながら
思いついて、先日ネパール人の身につけて
いたDZIビーズの話しをした。

インドの北部、ラダックには
チベット密教を信じる人々がいる。
あそこに行けばあるかもしれない
と彼は語った。

「DZIビーズにも興味があります。
貴方が行って探してくれますか?」
私は言った。

「北部はインド人にとって危険だと自分は思う。気にしない人もいるが、自分は
行きたくない。
デリーから飛行機で1時間くらい。
ミスターHが直接行けば大丈夫。
レーという街へ行けば、外国人も多いし
情報も得られる。」
彼は言った。

何が大丈夫なのか、わからないが
そうですか、わかりましたと伝えた。

「自分の住む地元、ジャイプールには
スレイマンアゲートと言う強力な
スピチュアルストーンがある。
それだったら、いつでも用意できるから
言ってください。」
彼はそんな事も言った。

食事が終わり、レストランから出て、
エレベーターを待っていると、
インドから来た客にインド料理でもてなすのか?と冗談を言われたので、次はオリエンタルホテルのフレンチが良いですか?
と問うと、彼らは真顔で頷いた。
どうもフレンチというイメージでは無いのだが真意は、わからない。

彼は、いつも帰国の際はマンゴスチンという果物を籠いっぱいに持ち帰る。
インドへ持ち込めるのか?と
いつも思っていた。

インド料理を食べた翌日は、胃が重たかった。
昼食はヤワラー通りの中華でフカヒレに
決めた。この日は、その中華の店の近くに
雑貨店を構える友人のミスター周を
誘うことにした。

友人と言っても、かなり歳の差が離れていた。
見た目で親子ほどの年齢差は
あったように思う。

ヤワラー通りをタクシーで進むと
両脇に金行(金を売る店)と飲食店の
看板が見えて来る。

ラーチャウォン通りの手前で車を降りて
馴染みの店へ向かった。
程なく友人も姿を見せた。彼は親戚を
頼って数年前に香港からバンコクへ
移住して来た。

数年の間にこの繁華街に店を構えるまでに
なったこと、流暢な英語を話すことを
考えると只者では無いのは確かだ。

実際のところ華僑の人々の金の流れは、
よくわからない。

彼自身が自分の姓は周だと言ったので
私はミスター周と呼んでいた。

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