落ちるということ 【大学院留学 奨学金】
大学院留学は約1000万円という莫大な費用が必要になります.これに伴い,一般的な志願者であれば国内の財団によって提供される給付型奨学金に応募することが一般的となります.一方でその倍率は想像を遥かに超えるものであり,中では50倍を超えるものも普通です.
一方でインターネットで見られる情報はどれも”サクセスストーリー”ばかり.つまり大学院留学に伴う奨学金試験の激戦を勝ち抜いたエピソードが多く転がっていると思います.しかし,大半の受験者は不採用となり,成功者の陰に隠れて私のような者がいるのが現実であるということを発信させていただき,理解していただきたいです.
ここでは,現段階で私が結果的に不採用となった,2種類の奨学金制度について述べさせていただくと同時に,個人的なエピソードも交えてお伝えいたします.面接内容は守秘義務がありますのでお伝えできかねますが,今後大学院留学を考えている方に向けて,少しでも情報共有できたらと思います.
現段階で受験した奨学金
内容の詳細に関しては各ホームページでご確認いただけますと幸いです.他にも多くの方々がこれらの奨学金制度について言及されているため,ここでは詳細は割愛させていただき,個人的な準備や内容の感想のみとさせていただきます.
中島記念国際交流財団
今年は8月中旬締め切り.内容は一番標準的だと感しました.特に難しい内容もなく,他の奨学金制度出願で使用した資料を字数調整する程度で仕上げられると考えています.
一人暮らし,パートナーなし,フルタイムの医療従事者の場合で1週間程度で資料は仕上げることができた記憶があります.このとき既に伊藤国際教育交流財団の資料を作成している段階だったのでブラッシュアップし,研究計画を日本語訳した形になります.
奨学金の内容もかなり充実しており,希望は強かったです.
伊藤国際教育交流財団
8月下旬締め切り.国内トップレベルの支援内容で人気も界隈での知名度も非常に高いと思われます.しかし倍率は標準的.ではなぜか.
準備する資料が非常に労力を要します.まず多くのブログ等でも書かれているように,手書きの申請願書8枚がびっくりです.一般的な履歴書のような内容に加え,A4のフォームにびっちりと手書きです.もちろん鉛筆,シャーペンは許されず,マナー的に修正液なんてもってのほか.何度印刷しなおしたか分かりません.一人暮らしのアパートにプリンターがなく,実家に帰った際に各6枚ずつぐらい印刷しました(心折れてしまい間違えすぎて一部これだけで間に合わずコンビニで印刷しました).
加えて英語(英語圏以外は日本語で2000字)1500〜2000 wordsの研究計画.元々研究経験はあり体裁は理解しており,英語もライティングは得意だったため個人的にはネットで言われているほど苦労しなかったです.その他芸術関係や建築関係の方,英語圏以外への留学志望の方,30歳以上の方等特別な条件に当てはまる場合は別途で要件が用意されておりました.
このようにで本当に意欲のある志願者だけを一次選考の時点で選別しており,倍率は標準的だが集団のレベルは高いと考えています.
日本学生支援機構(JASSO)
おそらく最も知名度が高い.内容も充実していると思います.上記2財団と異なり,完全にオンラインでの提出となります.募集人数が桁違いに多いので倍率も落ち着いています.締め切りは10月中旬だった記憶.
出願資料も比較的標準的ではありますが,体裁をどのようにするかを非常に迷う点が多かったです.成績もGPAが成績証明書に記載されていない場合は〜とか,志望校を証明する資料など,そのような面では特殊でした.しかしそのような疑問点に関しては回答していただけるため,時間はかかりましたが何とか資料を揃えることができました.
上記2財団と異なり推薦書が2通必要なのが特徴だと考えています.
結果
中島記念国際交流財団 無念の一次試験不合格
最初に不採用の連絡を受けたのは中島記念国際交流財団です.こちらは一次の書類審査で不合格通知が届きました.書類での通知で,時期は9月中旬から下旬だったと記憶しています.正直なところ,資料作成時の時期的に伊藤国際教育交流財団に提出したものをブラッシュアップして,個人的にも納得のいく内容だったため,非常に無礼ではありますが「なんでだ?」という疑問のほうが大きかった記憶です.
しかし,同奨学金よりも充実した伊藤国際教育交流財団からの通知がまだ来ておりませんでしたので,微かな期待を込めてそこまで落胆することはなかったというのが正直なところです.「まあそうだよなー」といった感じで冷静に現実を受け止めました.まずはここで,いかに競争している他の志願者がすごいかということを目の当たりにし,より本気度が増しました.
伊藤国際教育交流財団 一次試験合格
これは正直驚きました.手書き8枚の願書に加え,2000 wordsの英語の研究テーマ,卒論の要約等とにかく労力がかかりましたが,なんとなく志願者のレベルが一番高いところだという考えがありました.中島記念国際交流財団同様自宅に書類が郵送されました.しかし封筒を見た際,少し膨らみがあり明らかに2枚以上の資料が入っているのを見た時は,期待と心拍数がグッと上がったのを鮮明に覚えています.
結果は合格でした.「自分にも価値があった」「これはいけるかもしれない」「夢が叶うかもしれない」と本当にそう思っていました.その日から,面接で聞かれるであろう質問に対する答えを必死に考えました.待っている更なる競争がいかに厳しくても,最後までもがくことは怠りませんでした.一人暮らしで実家に帰る機会も少なかったため,ひたすら内容のブラッシュアップと,鏡に向かって話すことを繰り返しました.フォーマルな面接は就職試験ぶりでしたのでスーツとビジネスバックがちゃんと自宅にあるか確認しました.この時間も期待値が上がり身が引き締まる思いでした.
伊藤国際教育交流財団 二次試験不合格
11月25日に面接を受け,11月29日に書類で通知が届きました.同じく郵送です.面接の内容はお伝えできませんが,私の前の受験者が,私のような平凡な者からしたら見たこともないような,自信に満ち溢れたオーラを放っており,話さなくても大物であることがわかりました.私自身非常に緊張して自信はなかったのですが,熱意は全力で伝えたつもりではありました.
通知封筒を見た時は一次試験の通知に比べて非常に薄く,触れた感じは中島記念国際交流財団のものに近かったです.一気に血の気が引きました.ここで現実を受け止める準備をしました,いやしようとしました.ですが開けるのが怖くて,「全てが水の泡になるのではないか」「奇跡的に採用通知なのではないか」そんなことばかり考えていました.分かっていても辛いものは辛いです.希望を断たれる時はいつだって辛く悲しいものです.
結果は不合格でした.情けないことに本当に涙が出ました.不合格通知を静かに畳んでまだ全文は読めてないです.いつかあんなこともあったなと軽い気持ちで見ることができる時がくるといいと思っています.200人以上の一次試験から36人程度が二次試験に選ばれたといった記述はあったように思われます.
悲しみ,焦り,絶望を一人狭いアパートの部屋で噛み締めていました.「自分は価値のない人間だ」「もうなにもしたくない」「もうどこにも受からない」「どうせ失敗する」「どのようにして発散しようか」「全てが終わった」色んな感情がグチャグチャになって混み上がりました.面接での質問的におそらく来年仮に受けても受からないと思います.推薦書を書いてくださった教授と私自身の母親にまとまりのない文章で連絡しました.流していた音楽を止め,携帯の通知も切り,とにかく絶望してました,いやむしろ絶望したかったと言うべきだと思います.意味が分からないと思いますが,今までで一番といえる量の労力をかけた準備が,一枚の紙で全てがゼロになるのは,私にとっては受け入れ難い現実であり,今冷静になってみるとかなり取り乱していたと思います.
今後について
現段階で日本学生支援機構(JASSO)の一次審査が行われております.ここで通過することができれば面接です.「次こそは」という気持ちで,より良い自分を見せられるよう,日々の積み重ねだと思って自己研鑽に励みたいと思っております.また4月以降にも3つ受けようと思っていますが,どれも桁違いの倍率で自信はないです.最終的には返済型か,恐縮ではありますがクラウドファンディングで応援してくださる方に支援していただきたいと思っております.
まだ大学院もUniversity of Torontoしか出願できておらず,その他は準備段階です.まずはそこに切り替えたいです,精神的に厳しいですけどやるしかないとは思っています.幸いなことに両親からも「気負いしすぎず貯金はあるから頑張ってほしい」と言われており,非常に恵まれているなと嬉しい反面,自分の非力さと申し訳なさで余計に悲しさが増しています.
まずは現状,やれることをやります.次のタスクはUniversity of British Columbiaへの出願です.
もし「こういった情報が欲しい!」等ご希望がございましたらコメントいただければ,守秘義務が適応されない範囲であれば何でもアップしようと思っております.英語学習について,個人のことについて,等なんでも大丈夫です.
それでは.