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大学スポーツに関わる多くの人が高校スポーツへ抱く、意味のないジェラシー

今年も全国高校サッカー選手権大会の時期がやってきましたね。

毎年楽しみにしながらスタジアムに足を運んでいます。
おそらくこのような生活は老後になっても変わらないでしょう。

で、大いに盛り上がる高校サッカーを見て抱くのは、「大学サッカーとの違いはどこにあるのか」ということ。

これは自分に限ったことではないと思います。
多くの大学サッカー関係者が、高校サッカーへのジェラシーを抱きながら試合を見つめているのではないでしょうか。



「大学スポーツ盛り上げようキャンペーン」の世の中で


「大学スポーツを盛り上げたい」

この言葉を何回聞き、何回目にしたでしょうか。

自分も「盛り上げたい」と思っている立場の人間です。一応。
でも、そういう活動を続けるうちに「別に盛り上げなくてもいいじゃん」という考えも芽生えてきました。結構前からですけど。

別に、無理に盛り上げなくても試合は成立しますし、プロ選手も輩出できます。

でも、ここまで無理に「盛り上げたい」にこだわる。

自分はこのような動きを「大学スポーツ盛り上げようキャンペーン」と勝手に名付けました。

とすると、今は「大学スポーツ盛り上げようキャンペーン」時代の真っ只中です。

もちろん、中には質の高いプロモーション活動を実践している大学・部活もあります。
でも、大多数は上記の「キャンペーン」に乗っかっているだけで、「盛り上げたい」の本質を問うことなく活動しているだけだと感じます。
これは、現場レベルに立つ自分だからこそ感じることかもしれません。

だとしても、このような「キャンペーン」に大学スポーツに関わる多くの人が意味もなく乗っかる現状には理由が必ずあります。

その1つに挙げられるのは

プロや高校スポーツが盛り上がるのを嫉妬しながら見ているから

ではないでしょうか。




今の高校スポーツは大学スポーツの比較対象にはならない


高校スポーツ。
野球で言えば甲子園。サッカーだと冬の選手権。他にもラグビーの花園とかいろいろ。

その多くが、TV中継など多くのメディアに取り上げられています。大会中だけではなく、その前後もしっかりと密着されています。
大学スポーツで同じような取り上げられ方をしているのは、正月恒例の箱根駅伝くらいでしょうか。
大学ラグビーや六大学野球もTV中継されることはありますが、注目を集める試合に限っています。


そう考えてみると、というよりかは現実として、高校スポーツは盛り上がっています。

でも、張本人の高校生が盛り上げようとして盛り上がっている訳では決してありません。というか、そんなこと聞いたことがありません。
元々ある程度の注目度があったものをTVとかメディアがこぞって取り上げ、企業がスポンサーについて資金面での援助をする。
これってマーケティングの基本であって、注目を集めるものに投資をしたり、メディアで大々的に取り上げることって至って普通。
結果的に、メディアに大々的に取り上げられることが更なる話題を呼び、これを毎年毎年繰り返すことで「不変のイメージ」=「ブランド」を作り出している。

そう、毎年毎年の相乗効果が今の高校スポーツの盛り上がりを形作っているんです。

となると、大学スポーツが今の高校スポーツの盛り上がりと比較して自分たちを客観的に評価するのって非常に難しいと思うんです。

比較対象とするべきは、今の高校スポーツではなくて、メディアに大々的に取り上げられる直前の高校スポーツだと個人的には思います。

そうすれば、メディアが大々的に取り上げるようになる、高校スポーツが持つ価値というものが見えてくるはずです。


「高校スポーツではこうなっている」
「でも自分たち大学スポーツはこうじゃん」

自分たちを客観視し、その結果見えてくる自分たちの強みや課題と向き合うことはとても大事。
でも、比較する相手を履き違えてしまうと、より良い比較検証ができなくなる。

「高校スポーツって話題性があるからメディアで取り上げられてるじゃん。だったら大学スポーツも新しく話題を作ればいいんじゃない??」

本質を見失ったまま、自分たちの本当の強みや課題を履き違えたまま、新たな価値を無理やり創造しようとすることはとても危険。そう思います。
だから、大学スポーツって高校スポーツとの差を埋めきれていないのかなと。

高校スポーツは純粋です。ピュアです。
目の前の勝負に全力で立ち向かう。
もちろん、これは大学スポーツも同じです。

でも、大学スポーツは「盛り上げようとしている感」や「金儲けしてやろう感」が見え見えで、逆に空回りしているのかもしれません。

だったら1回「盛り上げようキャンペーン」から離れてみて、競技の本質的な面白さを突き詰めてみた方が良いとも思います。




盛り上がりの差を生む、「高校」と「大学」の構造的違い


話をスポーツから少し離して考えてみましょう。
おそらく、高校スポーツが盛り上がって大学スポーツがそこまで盛り上がらない理由は、スポーツ云々ではなく、日本国内における高校と大学の立ち位置の違いにもあると思います。

大学って、言ってしまえば馴染みがない

スポーツで言えば、高校は野球もサッカーもバスケも駅伝も、いろんな試合が地上波で生中継される。これは男女問わず。でも、大学だと中継されるのはごく一部。サッカーの全国大会(通称インカレ)は衛星放送での生中継だった。
スポーツ以外でも、「全国高校生クイズ」はTV番組としてあるけど「全国大学生クイズ」はない。

世の中的に、大学に対するイメージが薄いんだなと。日本国内では。


先日、本田圭佑氏が大学進学についてこのようなツイートをしていました。

本田圭佑氏の疑問にもある通り、日本国内では「大学の存在意義」が曖昧になっているところはあると思います。


中学卒業後、多くの人が高校に進みます。
でも、高校卒業後に大学進学を選択する人って、高校のそれに比べたら決して多くはない。

文部科学省による令和元年度学校基本調査では、平成31年度中学卒業者における高校進学率は98.8%だったのに対して、高校卒業者の現役での大学・短期大学進学率はわずか54.8%だった。(令和元年度の調査では記載されていなかったが、平成31年度の調査によると、志望者自体も高校卒業者のわずか6割ほどだった)

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↑文部科学省による令和元年度学校基本調査より


また、大学は「授業」ではなく「講義」がほとんどです。高校のように毎日点呼を取られることもないし、ホームルームでクラスメイトと顔をあわせることもないし、授業中のグループワークだって多くはない。
高校までとは違った授業形態によって、横の繋がりの希薄性が生まれる。これが大学です。


さらに、プロモーションの観点で言うと、大学は体育会各部に対してそんなに干渉しようとしない。言い方を悪くすれば、見放している。そこまで相手にしていない。

高校は学校からのバックアップ体制が万全です。
全国大会に出場が決まれば、学校に垂れ幕がかかって、全校集会で選手を盛大に送り出し、試合となればスタジアムでの全校応援を行う学校も少なくありません。
遠征時は学校が保有するマイクロバスで移動する。

学校が一丸となってチームを支えている。
学校が一丸となってプロモーションを行っている。

これは非常に大きい。

でも、大学では上記のようなことがない。

チームのプロモーションは部単位で。
ポスターを貼ったり、ビラ配りをするにも大学の許可がないとできない。
遠征時に使える大学保有のマイクロバスはありません(これは大学によりけりでしょうけど)。

高校って学生数は多くても数千人。
大学は多いところだと数万人に登ります。
数万人の学生数を抱えているのなら、スタジアムを満員にすることって簡単なようにも感じます。


でも、それができない理由。
高校ほど、スポーツに対する優先順位が高くないんだなと。
それは、名の知れたメガ大学になればなるほどです。
別にスポーツに特化しなくても、スポーツを広告塔に使わなくても学生は集まるから。

さらっと言ってしまいましたが、スポーツが持つ広告塔としての働きは強力です。
それが高校だと尚更。そんな気がします。
ごまんとある高校の中で、自分たちの存在を世間にアピールするのにスポーツは打って付け。
しかも、今のようなメディアへの大々的な取り上げられ具合を加味するとなおさら。
スポーツが自分たちの強力なアイデンティティになるんです。
校風やら進学実績やらと肩を並べる、もしくはそれをも上回るくらいの強い力を持っています。

でも大学って、東大京大とか早慶上智とかMARCHとか、既に形作られたイメージが世の中的に定着していて。
高校に比べて数が少ない上に、一種のヒエラルキーのようなものができあがっていて。東大京大、早慶上智、MARCHのようなグループ分けがこれを物語っている。
で、そのようなイメージが全国的に広まっている。

高校にもヒエラルキーのようなものはあると思います。でも、それって都道府県内に留まることが多いんじゃないかと。
大学と比べて全国区でヒエラルキーができてはいないと思います。

話を戻すと、大学はイメージ付け、ブランディング化が進んでいるところが多い気がします。
特に、先程のヒエラルキーの上にいる大学だとなおさら。
だからこそ、既に定着しているイメージがあるからこそ、無理やり新たな価値を創り出さなくても学生数を確保できる。
スポーツにアイデンティティを持っていく理由が特に見当たらないのです。
だから、大学からのバックアップがそこまでなんだと思います。




スポーツというアイデンティティを失ったら大学はどうなる?


ではここで問題提起。

もし仮に、今自分が通っている大学からスポーツがなくなったら、自分が通っている大学の世の中的なイメージってどうなると思いますか?

変わりますか?
それともそのままですか?


早稲田大学を例に挙げてみましょう。

ラグビーは強豪です。早明戦では2万人以上の観客動員数を誇ります。
野球も超名門。六大学野球は伝統があります。
駅伝も毎年正月の2日間、半日に渡ってエンジのウェアがお茶の間に映される。

そんなスポーツが早稲田大学からなくなったとしたら、今のアイデンティティを保てるでしょうか?
日本国内に「早稲田」の存在をアピールできるでしょうか?

個人的な答えは「NO」
おそらくできません。

早稲田大学は私立大学の最難関のひとつとして位置づけられていますが、校風と進学実績くらいでしか学校の存在をアピールできないのであれば、今ほどの人気を保つことは難しいと思います。
というよりかは、受験に関わりを持たない人には全くリーチが届かない
存在すら知らない人が増えてしまうと思います。

今の早稲田が早稲田たる所以には、スポーツでの実績は大きいはずです。
駅伝、ラグビー、野球などなど。
TVや新聞などで人々の目に触れる機会を多く作り出してきたスポーツの存在。
そんな他の大学に負けない強力なアイデンティティがあるからこそ、入学志願者を一定数キープでき、入学が難しい最難関大学の一角として居続けられるのだと思います。


是非とも自分の大学に置き換えて考えてみてください。
大学ごとの色は必ずあると思うので、答えはそれぞれ違うと思います。

さらに、考察する過程で「自分が通う大学そのものの個性・強み」や、「大学とそこに属する体育会各部との関係性」も分かってくると思います。
それが分かれば、より良いプロモーション活動にも繋げられるはずです。



長文になってしまいましたが、大学スポーツの今後を考える上で何かを考えるきっかけとなれれば幸いです。

今日で2019年は終了します。
自分が自身に課した来年度のミッションは、「大学スポーツを取り巻く『リアル』を少しでも多く言語化し、大学スポーツの課題を解決する突破口を作り出すこと」です。

来年度もどうぞよろしくお願いいたします。

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