「組織における個人」と「個人における組織」
夕方の練習が終わると、急いで着替えを済ませて西武線に飛び乗る。
向かう先は御茶ノ水。
疲れて眠気に襲われている至って正常で正直者な身体を、レッドブルだのコーヒーだのでカフェインを注入して強制的に叩き起す。ごめん、身体。
そしてPCとのコミュニケーションが始まる。(コミュニケーションが上手く図れない時もしばしば)
気付けば0:00を超えたり超えなかったり。
家に帰って、親が作り置きしてくれたご飯を食べる。毎日作ってもらえているのにも関わらず、作りたての美味しい状態で食べることができていない申し訳なさを心の片隅に抱きながら。
そして寝るのは2:30。
完全に慣れてしまった。
この短期間で顔のシワが増えた気がする。
抜け毛が増えた気がする。
将来が不安だ…。
ここで言いたいのは、夜遅くまで仕事をしている学連のブラックさではない。
こんな生活を良しとしてしまう自分自身への戒めである。
組織への過度な心中は何も生まない
「組織への過度な心中は何も生まない」
これは世の中的にもよく言われていることだし、自分自身も強く思い続けていることである。
「お国のために戦いなさい」じゃないけれど、「身を粉にして働け」っていう風潮はどこかにある。
当然、そうしないとお金が稼げない。
お金は頑張った対価として支払われる。
だから至って当然だ。
でも、大きな企業ほど、そこに所属する個人には構ってくれない。
組織にとって、そこに所属する個人は「自分の価値を高めるために働く存在」。働きアリだから。
「組織に所属している」
組織が、組織側から能動的に働きかけて、そこに所属する個人の社会的ステータスを上げてくれることはまずない。最低限の社会的身分を保証してくれるだけだ。
だから、いくら組織に身を捧げてもそれに見合ったリターンは組織側からは帰ってこない。構ってはくれない。
求めるだけ無駄だろう。
バカを見るだけだ。
自分を磨く
では、自分が所属する組織が自分を高めてくれないなら、何もリターンしてくれないのなら、何を頼りにすれば良いのか??
それは、紛れもなく自分の能力・スキルである。
能力・スキルは持つのにお金はかからないし、荷物になることもない。
能力があれば、スキルがあれば、どの組織にいたって活躍できる。
所属先のネームに頼って生きている人なんかより絶対に活躍できる。
組織は絶対じゃない。
これはいろいろな意味で。
明日あるかも分からないという意味でもそうだし、
外にはいろいろな意見やものの見方があるんだよ、という意味でも。
「所属すること」に固執する人は、自分の所属先の組織が絶対だと思い込んでいる。世界はとんでもなく広いのに。
だから、1回外に出てみて、いろいろな人の意見やものの見方があることをまず知り、そして吸収した方がいい。
能力やスキルは多少衰えてしまうことはあるかもしれないけど、
考え方やものの見方が色褪せることはない。むしろ日々アップデートされていくもの。
そして、その蓄積されていった考え方やものの見方が、自身の能力やスキルの老化を防ぐとともに、それらをパワーアップさせていく。
大事なのは、自分を外部に晒すことで日々アップデートされていく、自身の考え方やものの見方。
外部に晒さないと意味がない。
自己完結で終わらせていては意味がない。
アップデートさせないと意味がない。
頑なにアップデートを拒んでいては意味がない。
古いバージョンのものを壊しにかかる勇気がなければ意味がない。
話は少し逸れるが、
中学の部活の顧問は「試合じゃないとサッカーは上手くならない」「練習試合はアウェイじゃないと意味がない」とよく口にしていた。
これが100%正しいとは言いきれないけれど、確かに筋は通っている。
練習はセクションごとに目的が決められていることが多く、それに基づいて色々とルールが定められている。やりづらさを感じることもあるけど、それに甘えることだってできる。例えば、ミニゲームで「シュートはダイレクトのみ」となれば、ゴール前でFWの選手がトラップをした瞬間、対峙するDFからしたら「あ、こいつはシュート打てないな」と少々安心してしまうことはある。
でも、試合となれば、試合中どこからシュートを打たれるか分からない。だから、常にピリピリした環境下でプレーしなければならないし、一瞬の気の緩みが試合を決めてしまう。
ホームでの練習試合となれば安心感はあるし、何もかもを知っている状況で試合に臨むことができる。
でも、アウェイとなれば、会場までの行き方だって迷って焦ることはあるし、控室からピッチまでの動線も変わる中でルーティーンを崩される可能性もある。
そう考えると、試合が一番上手くなる時間だとも思うし、アウェイでの試合を多くこなすことがチームの強化につながるとも思う。
何が言いたいかというと、イレギュラーの中に身を投じ、それを経験することによって初めて生まれる強さが確実にある、ということだ。
そのイレギュラーを生み出すことができるのは、紛れもなく、殻に縮こまっている自分を外部にさらけ出した時である。
時は金なり
1日は24時間しかない。
寿命だってある程度決まっている。
自分が自分らしくあれる時間は長いようで意外と短い。
天から与えられた、貴重で限られた時間をいかに有意義に過ごすのか。
これは誰しもが持つ、人生のテーマでもある。
意味のない、無駄だと思う時間は極力減らす。
そんな時間を過ごすことが一番もったいない。
組織に固執する人は、自分がそこに何時間いたとか、朝から晩までいます、だとかそういうことをよく口にしているのではないかと思う。
でも、重要なのはやはり結果。
会社だったらオフィス、部活だったら練習場。
そこに何時間いたって、何も生産性のないことをして過ごしていたら?
その時間は無駄でしょう。
有限な時間を無駄にしてしまいました。
非常にもったいないことです。
そんなことをするのなら、自分の好きなことをした方がいいのでは、と個人的に思う。
先ほど言った通り、組織は絶対ではないので。
自分の頼りになるのは能力でありスキル。
だったらそれを向上させるための時間にしたいところ。
そうすれば、「何の生産性もない無駄な時間」が「将来の自分への投資を行う有益な時間」へと生まれ変わる。
で、自分の能力やスキルを向上できる場はどこにあるのか。
そう、外部。
自分磨きをするのであれば、積極的に外部に出た方がいい。
これまでの常識だとか、今までの経歴だとか、所属先での待遇だとか。
こういった自分を守るもの全てを取っ払ったゼロの自分を外部にさらけ出すことで初めて「ありのままの自分」は見えてくるものだ。
そういう時こそ、自分の新しい可能性を見出すことができる。
自分の可能性を自分で潰してはいけない。
誰もが、まだ見ぬ可能性を秘めているはずなので。
自分を客観視できる環境にいないと絶対に気付くことはできないと思う。
だからこそ、自分を外側から見つめることのできる場に自分を移すことが非常に大事なのである。
組織は絶対じゃない。
どこか無駄な時間を過ごしている感じがするのであれば、環境を変えて新たな領域に足を踏み込む勇気を。
そして、自分の能力やスキルをとことん磨くこと。
それを組織に還元すればいい。
大事なのは、「どこにいるか(行くか)」ではなく、「そこで何をするか」。
これにいち早く気付けるかどうかで人生は大きく変わると思う。