「うっせぇわ」の歌詞の裏読み
Adoさんの「うっせぇわ」って曲、いいですよね。さっき確認しただけでも、Youtubeでの再生回数はなんと53,299,320 回。テレビでもミュージックステーションなどで取り上げられました。僕としては、高校生の時に友達と聴いていたニコニコ動画などの文化っぽくてPVも含めてワクワクします。
最初に僕がこの曲に引っ掛かったのは、
「嗚呼よく似合う その可もなく不可もないメロディー」
という部分。
作詞作曲は、syudouさんという方です。
この歌詞、サビに感情の全てが詰まってるんですけど、syudouさん自身の音楽を仕事に選んだクリエイターとしての叫びとしても読み取れます。
普通に聴くと、この歌詞は社会に対しての不平不満を歌っているように感じますよね。でも、強調されてる部分、
「絶対絶対現代の 代弁者は私やろがい」
「私が俗に言う天才です」
ってのは、若者全体の意見としては矛盾する。
これって作詞したsyudouさん本人の事だと思うのですよ。
つまり、最初に聴いた時に感じる、誰でも共感できる社会への不平不満は、表のメッセージ。
もう一つ、本音の裏のメッセージもあるなと。
そこで、syudouさんは自身のシンガーソングライターとしての内面を爆発させています。
これは、まずサビの部分だけに注目して読むとわかりやすいです。
「一切合切凡庸な あなたじゃわからないかもね」
「もう見飽きたわ 二番煎じ 言い換えのメロディー」
「何回聴かせるんだ そのメモリー」
これをsyudouさんの本職、音楽の事としてとらえ直すと、
「一切合切凡庸な あなたじゃ(私の音楽の良さは)わからないかもね」
「もう見飽きたわ 二番煎じ 言い換えの(他人の音楽の)メロディー」
「何回聴かせるんだ その“メモリー”(=音楽)」
とも解釈できますよね。
つまり、今まで世間で良いと言われている音楽と、同じように高いクオリティがあるはずのsyudouさん自身の音楽とのギャップを、「そんなありふれた曲で満足しちゃって、私の作った曲の良さがわからないのね」と相手に言い放っているのです。
これって、「自分が本当に作りたい、好きな音楽をみんな理解してくれない!」って気持ちの表れです。
それでもプロとして「求められる(=評価と売れる)ものを作らなければいけない」という想いもある。それは所属事務所等からの要望も勿論あるでしょう。
その間で思い悩み、「でもオレが本当に表現したいのってこういう音楽なんだもん!」っていうある意味での開き直りの精神が、自分の曲への考えと外野の声に対しての「うっせぇわ」になっていく、と。
そう解釈した僕は、「とんでもない歌詞だ、最高!」となったのです。
だって、社会の不平不満を唱えるだけの歌なんて、それこそこの歌詞で否定している凡庸じゃないですか。この曲はさらにその裏に、今までの歌にない本音を込めて、それを聞き手に共感しやすい社会人の不満と融合させることで、激しい表現を使いながらも大衆に受け入れられる音楽作品に仕上げた傑作になったのです。そりゃヒットするわ!
まとめると、
表のメッセージ:誰にでも共感できる社会への不平不満
裏のメッセージ:オレの作りたい曲はこれだ!外野はうっせぇわ!
って曲だと僕は思っています。
勿論、これは僕の個人的な解釈なので、正解ではないです。
でもこんないい曲、深読みせずにはいられないじゃないですか。
あと、こんな面白い曲を作るsyudouさんの楽曲を、この1曲だけで満足するのは勿体ない!
「うっせぇわ」の他にも、アルバムや、Youtubeで様々な楽曲をご自身でご提供されているので、まだご覧になられていない方は、ぜひチェックしてみて下さいませ。