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営業日報第2話/関係性

今日も車の営業時代の話を書いていく。
人と接する事が苦手で無ければ営業職は非常にやりがいのある仕事だと思う。
自分の行いが全て自分に返ってくる。
現在の自分の状況を誰にも転嫁できない感覚は、サラリーマンといえども経営者に近いものがあるのではないだろうか。
まあノルマが達成出来なくても決められた給料が出る時点で土俵が違うが、仕事に対する向き合い方は似ていると感じる。

営業日報第2話/関係性

営業にも慣れてきてそれなりの台数がノルマとして課せられてきた頃。
その日は休日の当番出勤の日だった。
毎週決まった曜日が休みなのだが、店を閉めてしまうと緊急時の対応が出来ない。
そのため当番制を敷いており、営業とメカニックが1人ずつ出勤する。
客も休日対応なのは分かっているので、よほどのトラブルが無い限りは暇だ。
来店客があるとすれば飛び込みの一見客だけ。
その日も1台、他メーカー車の来店があった。
メカニックとの雑談を止め、身だしなみを整え表に出る。
駐車場の枠内に車を誘導して客が車から降りてくるのを待つ。
「いらっしゃいませ」
車から男女2人が降りてきた。

歳は2人とも40代前半くらい、夫婦だろうか。
「ご用件をお伺いいたします」
笑顔でしゃべりかける私にその客も笑顔で返答してくれる。
「〇〇を見せてもらいたいんだけど」
モデルチェンジして1年ほど経つが、コンスタントに売れる人気のワンボックス車だ。
「中に展示車がございますし、試乗車もございます」
自動ドアのセンサーに左手をかざしてドアを開け、右手で客を店内に誘導する。
名刺を渡して自己紹介をすると私は少し後方に下がった。
最初からしゃべりかけていくよりも、しばらくは客が好きなように動ける時間を作った方がいい。

売れ筋の色がホワイトパールだったため、展示車もホワイトパールだ。
試乗車はメタリックの赤色を用意していたが、表面積の大きいワンボックス車には自己主張が強すぎる。
男性は運転席の座り心地や電装品の操作具合、女性はドアの開閉のしやすさや小物入れなどの装備品をチェックしている。
タイミングを見計らい、私は客に声を掛けた。

「いかがですか?」
夫婦での来店客の場合、最初の頃はどうしても男性を中心に説明してしまうケースが多い。
しかし夫婦での来店、特にファミリーカーの場合は絶対に女性をメインにした方がいい。
財布を握っているのは女性の方が圧倒的に多く、女性に嫌われるとその商談は絶対に成功しない。
「グレードによりますが、バックドアはこのようにボタンで開閉出来ます」
女性には手が届きにくく、閉める時に重たいバックドア。
その脇にあるボタンを女性に話しかけながら押す。
ピーピーピーという警告音とともにバックドアは自動でゆっくりと閉まった。
「お~すごい!便利だね」
男性が感心した目でバックドアを眺める。
男性がしゃべると女性も続く。
「グレードによって違うって事は手で閉めるグレードもあるんですよね?」
もちろんである。
「はい、詳しいグレード体系を簡単な見積りと一緒に説明させてください」
カタログを棚から持ってきて商談テーブルへ促すと、夫婦は「お願いします」と言って席に着いた。

休日対応の時に困るのがこの商談である。
通常、客と商談している時に空いているスタッフが査定などの補助をやってくれる。
客だけの時間を少なくするためだ。
しかしその日は私以外にメカニックしかいない。
メカニックも資格は持っているので査定は可能だが、畑違いなので頼むのは忍びない。
「飲み物だけ聞いて出しといて」
最低限の頼みだけメカニックに伝えると、私は自分で査定をはじめた。

査定額を入力した見積書を、グレード違いで2種類作成して提示する。
自動バックドアの設定があるのは上位グレードで、その差額は総額で45万円程度。
男性はもちろん上位グレードが気に入っているようだが、大蔵省(今は財務省か)に笑顔はない。
店頭に来る客は当たり前だが購入意思がある。(冷やかしは除く)
車種で悩んでいるのか予算で悩んでいるのか。
その悩みを解決すれば購入へと一気に近付く。
予算で悩んでいる場合は値段さえ合わせてしまえば即決も多い。
しかし今回の商談は車種選択も悩みにあるようだった。
結局その場での商談はまとまらず、客は持ち帰って検討する事になった。

一見客の応対をした場合の鉄則が、お礼を兼ねた自宅への訪問である。
教えてもらった住所が本当なのかを確かめる為でもある。
もちろん当日中に実行するのは言うまでもない。
私も当番の帰りに商談した客の自宅へ訪問するため、店の施錠などをメカニックに頼んで店を出た。
念のために注文書など一式を携えて。

アンケートに書いてもらった住所を尋ねると先客がいた。
別メーカーの車が自宅前に止まっている。
どうやら他の店にも行っているようだ。
仕方ないので近所の公園脇に車を止め、先客が帰るのを待つ。
先客に取られてしまっていればそれまでだ。
30分ほど経って見に行くと先ほど止まっていた車はいなくなっていた。
同じ場所に車を止めチャイムを鳴らす。
笑顔で女性が迎えてくれた。
「車屋さんってすごいですね、さっきも他の車屋さんが来てたんですよ」
知ってます。

スリッパを出してもらい居間へと通される。
男性が私が渡した見積もりと、様式の違う見積もりを机に並べて見比べている。
「他の車種もご検討なんですね」
相見積もりを取るのは客の自由だ。
そこを責めないように柔らかく話しかける。
男性は支払総額の個所を見ながら言う。
「値段だけで言うと別の車なんですよ。でも僕はお宅の・・えっとヒロタさんの方の車種が気に入ってるんだけどね」
私の名刺を確認しながらしゃべる。
「はい、たしかに金額は重要ですよね」
「しかし安い買い物ではないので、せっかく買うのであれば気に入った方をご購入いただいたほうが後悔は無いと思います」
お茶を持ってきてくれた女性が釘をさすように怪訝な顔で男性を見つめる。
しかし金額の話題が出るという事は値段次第である。
幸いにも今日は当番日。
店長と連絡の取りようが無いため、多少無理な値引きで注文を取っても事後承諾でなんとか乗り切れる。
そう踏んだ私は女性に話しかける。
「もし、今ご注文いただけるのであれば、ここまで頑張ります!」
最初に提示した金額よりも値引きを30万円、下取り額を5万ほど増やした。
上位グレードとの価格差が10万円に縮まる。
2人が一瞬顔を見合わせる。
女性の顔は既にOKの顔になっていたが、男性は「う~ん」と難しそうな演技をする。
「納車の時、ガソリン満タンサービスも付けるんでお願いします」
私のダメ押しで決着がついた。

世間話をしながら注文書を作る。
割賦での購入だったのでローンの申込書も作成しなければいけない。
無言の時間を作らないように話題を振る。
「そういえば奥様も運転されるんですか?」
この質問が墓穴を掘ると誰が想像出来ようか。
ニコニコと笑顔で話す私と対照的に2人が微妙な雰囲気になった。
男性が苦笑いしながら言う。

「いや、娘なんだよ」

失態中の失態である。
奥さんを娘さんと間違えたのであればもう1台注文が来たかもしれない。
しかし娘さんを奥さんと間違えてしまった。
しかししかし、どうみてもこの男女は同年代である。
「わたしまだ28なんですけど?」
先ほどまでとは違い、般若のような表情で言葉を投げつけられた。

何度も何度も謝ったがどうしようもない。
「悪いけどもう少し考えさせて」
私から購入する意思はないという決定事項をオブラートに包み、その男性、つまりお父さんは申し訳なさそうに言った。
自分の行動を振り返りながら私はその家を後にした。

女性に嫌われるとその商談は絶対に成功しない。
営業マンたるもの、購入者の関係性は事前にしっかり把握しておくこと。

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