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謦咳に接した記憶|#青ブラ文学部
けいがい【謦咳】 に 接(せっ)する
尊敬する人に、直接話を聞く。直接、お目にかかる。面会すること、会うことの敬称。
[初出の実例]「十九世紀紀季の一大偉人の謦咳(ケイガイ)に接することを得」(出典:馬骨先生に答ふ(1902)〈登張竹風〉)
謦咳に接した記憶か。
…ないな。ない。ないぞ。
尊敬する人なんて、いないよ。
そもそも、人が好きじゃないし。
これは書くことないな・・・とスルーしようとしたとき、近藤康太郎の言葉が頭に響いた。
「書けないやつは、考えていないだけ」
「自分なんて、他人の思考の集積だ」
改めて考えてみると、引っ込み思案で、何を考えているかわからなくて、無反応なわたしに接してくれた人は多い。
まず両親、学校の先生、友達、野球チームのコーチ(友達の親)、高校の剣道部の先生、塾の講師、バイト先(たくさん)、就職先(たくさん)・・・
接してくれた人みなさんに何かしら教わっている。
これって、謦咳に接しまくっていると言えるのでは。
わたしは、みなさんの謦咳でできていた。
いろいろと大変だけど、いま、働けていて、家庭を持っているのは、かなり奇跡に近いと本気で思う。
みなさんに感謝をしなくてはいけない。
他人のことなんてどうでもいいなんて思ってはいけない。(自分に言っています)
人と触れあいに直接も間接もない。
note で接してくれた方にも大きな感謝を申し上げます。
(了)
この投稿は、青ブラ文学部のお題 「謦咳に接した記憶」に参加させていただいたものです。
ここまで書いといてなんですが、これ大丈夫かな。
条件を満たしている「作品」でしょうか。不安になってきた。
ダメだったらスルーしてください🙇🏻