合唱幻想曲と第九
毎年年末の風物詩である「第九」ことベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。
しかし、今年の年末は少し事情が異なりそうだ。
困難だからこそ
ベートーヴェン生誕250年の記念年である2020年の年末は本来ならば日本全国至るところでこの曲を聴く機会に恵まれたことであろう。しかし新型コロナウィルスの関係で規模を縮小したり、公演自体が中止になってしまったところもあるに違いない。この事態はとても残念な事なのだが、しかし不謹慎ながら個人的にはこういった困難な中にある「第九」がとても「ベートーヴェンらしい」ようにも思えるのだ。
「第九」のアイディアはどこからきたか?
この合唱の付いた変わった交響曲「第九」だが、この合唱をつけるというアイデアはどこからきたのであろうか?
さて突然話は飛ぶのだがベートーヴェン作曲の「合唱幻想曲」なるものをご存知であろうか?この曲はジャンルとしては一応「合唱曲」なのだが、一風変わっている。
合唱をオーケストラと一緒に、というのは決して変わった組み合わせではなくむしろ王道だ。しかしこれにピアノ独奏を合わせるとピアノ協奏曲(ピアノ独奏とオーケストラ)のスタイルも併せ持つので「ピアノソロ」「合唱」「オーケストラ」の3者が三つ巴となり、単なる管弦楽作品でなく合唱曲でもピアノ協奏曲でもない、独特の作風となっている。
この合唱幻想曲、作曲されたのは「第九」よりもずいぶんと前なのだが、この曲を作った事が「第九」に大きな影響を与えたのは間違いない。なぜなら曲中でのアイディアがかなり似通っているからだ。
印象的なピアノ独奏から始まるこの曲は途中合唱が加わるまではまさに「ピアノ協奏曲」そのものである。が次第にピアノ独奏はオーケストラと調和していき後半は主に合唱の伴奏へとまわる。曲頭の存在感が嘘みたいである。
そしてピアノとオーケストラ両方の伴奏を伴うなど、なんて贅沢な合唱曲だ。
「第九」との共通点
まず、上述の通りこの曲はジャンルとして合唱曲だが加えて合唱とは別に6人のソリストが加わる。このソリストたちがピアノ含むオーケストラに誘われて歌い始め、その旋律に誘われ合唱が加わり次第に盛り上がって曲を閉じる様は「第九」そのものである。歌詞の内容もも芸術賛美、平和の希求という意味において似ているし、何より曲中での合唱の扱い方が後の「第九」に多分に活かされているように思う。「第九」のアイディアは疑いようもなくここからである。
(加えてメロディーもなんとなく似ているように思えるのは私だけだろうか?)
しかしこの曲はとても素敵な曲なのだが、たかだか20分くらいの曲なのに「第九」(4人)よりも多い6人!の独唱者、四部(ソプラノ、アルト、テノール、バス)の混声合唱、ピアノ独奏、オーケストラという他にない大規模編成がゆえに演奏機会が「第九」に比べて圧倒的に少ない。
もちろん世間ではあまり知られていないから演奏機会が少なくなるのだが、演奏しようにも同じくらいの長さの他の曲に比べてコストパフォーマンスが悪すぎるので主催者として出来るだけ避けたいプログラムであろう。
コロナ下だからこそ
クラシックの多くの楽器奏者や歌い手に比べて我々ピアニストには普段なかなか「第九」にご縁がない。あったとしても合唱の音取り練習や伴奏に関わる程度だ。「合唱幻想曲」に至っては余程の事がない限り弾く機会がない。
幸いにもそんな可哀想なピアニスト達でも楽しめるように過去の偉大なピアニストがピアノ用に編曲してくれているのだ。
ベートーヴェンの全ての交響曲をピアノソロ用にアレンジしたフランツ・リストは「第九」では2台ピアノ版も作ってくれているし、
また同年代のピアニストで指揮者のハンス・フォン・ビューローによる合唱幻想曲の2台ピアノ版もある。
ならばやるしかない!合唱幻想曲と「第九」、この組み合わせは面白い!
そして合唱が困難な今だからこそ、この2曲を!
という事で沖縄県立芸術大学の同僚ピアニスト武田光史さんとこの2曲でのコンサートを沖縄と横浜で開催させて頂けることに。
沖縄公演チラシ
困難の中、その才能と努力で数々の名曲を残したベートーヴェンの曲だからこそ、コロナの今だからこそ平和や人類愛を望む合唱幻想曲や「第九」を演奏することが世の中に必要なように思うのである。
是非多くの方に聴いて頂ければベートーヴェン大好きな人間として、また一演奏家として幸いである。
(了)
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