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【短編小説】巡る白い季節に

冬になると、北陸の気候はどんよりしてしまう。
太陽を見る機会は一週間に一度あるかないか。北陸で生まれ、育った僕にとっては普通の見慣れた光景である。

これまで、普通の時はたくさん流れた。
しかし、がんという病気になった僕にとってはそれらが手に入れ難いものになった。

雪がちらついてくると、今年も白い季節が巡ってきたんだなと感じる。

今日は主治医の最後の診察。
天気はいつも通り、どんよりしている。

高校生でがんを発症

今から6年前。
僕は高校生の時、がんと診断された。
当時のことはあまり覚えていないが、違和感を感じたのは夏。そして、診断されたのは冬。今と同じどんよりとした天気の冬だった。

当時の気持ちはあまり覚えていない。何を言われたか、その時どんな気持ちだったか、ショックだったのか、目の前が暗くなったのか、こういったことはあまり覚えていない。色々なことで頭が一杯だったからかもしれない。

それよりも天気のことをよく覚えている。

診察室を出て、会計をして、病院に出た時、晴れた空だった。北陸には珍しく、空一つない快晴だった。

ひとまず手術を受けるための用意を整えるために家に帰って、すぐ入院した。入院した日はどんよりした天気だった。

主治医と会った。

高校生ながら、がんには初期から進行まで色々あることは知っていた。幸い、当時のがんは小さく初期でありオペやその後の治療で良くなると言われていた。手術や術後の生活に怖さを感じていたが、主治医を信頼してオペをうけた。

全身麻酔から目が覚めた時、外は快晴だった。

積もった雪と晴れ渡った空。病院から見た白い雪、青い空のコントラストはとても綺麗だった。

オペ後の痛みや違和感というものもあったかと思うが、喉元過ぎれば熱さ忘れる性格なのかあまり覚えていない。それよりも病室から見た山、積もった白い雪、その背後に広がる青い空、眼の覚めるようなコントラストを鮮明に覚えている。

残念ながら入院中で晴れた空を見れたのはこの一瞬だった。次の日、次の次の日も、いつも北陸のどんよりとした曇りだった。

どんよりとした感情を抱いて毎日過ごしていたが、毎朝の回診で主治医とかわす何気ない言葉、何気ない仕草、それは僕にとって心が晴れる瞬間だった。

退院してもどんよりした心

しばらくして退院した。

残念ながら高校は留年してしまったが、担任の先生や周りのサポートで高校に復帰することができた。

今までは普通の高校生だった。
みんなと同じ勉強をして、部活をやり、たまに遊ぶ。しかし、突然がん患者としての生活が始まった。

僕はがん患者になった人にしかわからない感情があると考えている。
もっというと、同じがん患者、同じがん種の人でも、他人には分からない感情があると僕には思う。

その感情に名前をつけることは難しい。例えるのなら、北陸の気候のようなどんよりとした天気であるかもしれない。そのどんよりした感情を抱えていた。正確にいうと、がんになったことで抱えざるをえなかった。

僕は昔からよく外で遊んだ。

普通に歩き、普通に走り、普通に跳ぶ。
しかし、がんになったことでこういったことが不可能になった。
できないからといって何か生きる上で不都合が生じるわけではないし、社会的なハンディキャップもそこまでない。ただ、今までできたことができない。という事実は常に僕の心をどんよりさせた。

僕はそれなりに勉強ができた。

学校に復帰して進路を決める時、主治医の影響もあり医師を目指そうと思った。偏差値的にも医学部は不可能なレベルではなかった。

しかし、がんになったことで勉強以外のことが足枷になった。

後遺症や治療の影響があることで体力が続かない。主治医を見ても思ったが、ほとんどの医師のハードワークは尋常ではない。身体的にハンディキャップがある自分には到底、無理だと思った。

偏差値が足りないから医者になれない。それならば諦めがつく。

でも、自分ではどうしようもないことが理由で、自分の進路が狭まってしまうという閉塞感。例えると、小さい部屋に一人。窓が自動でしまり天井から差す光がどんどん無くなっていく感覚に近い。差し込む光が小さくなっても自分には何もできない。いつか真っ暗になってしまうのを、ただ待つだけ。という感覚。

ただ、ずっと暗い闇にいるわけでもない。周りは見えているし、ある程度の視界もある。まさに、冬の北陸のどんよりとした天気のようである。

手に入れた普通、再発で失くした普通

医学部は諦めた。
でも時間と共に自分の体調が良くなると信じ、勉強を続けることを諦めることはしなかった。

結果、いわゆる難関大とよばれるところに合格した。故郷を離れて大学生になった。

最初は普通の大学生というものがわからなくなって戸惑った。

普通に大学に行き、普通にバイトをし、普通に友達と遊ぶ。
僕以外の周りはそんな普通を行なっていた。しかし僕には全てが普通ではなかった。

僕にとって普通が普通でないことを周りに理解してもらうことはとても大変だった。カミングアウトをすることに最初はとても躊躇した。話すことで傷つきもした。でも、ありがたいことにそんな自分を周りは受け入れてくれた。

徐々に、僕の普通が変わっていた。
身体的なハンディキャップはあるものの、普通に大学に行き、普通にサークルをして、普通に友達と遊ぶことができるようになった。
大変なこともあったし未来に思い悩むこともあった、けれど、がんというもので僕の心が曇ることは減っていった。

心のモヤモヤが晴れる。という言葉があるが、そもそもモヤモヤがない状況、それを考えることさえないような時期だったと思う。今思えば幸せだった。

だが、幸せな状況は長くは続かなかった。

再発した。

悲しみ。怒り。絶望。色々な感情があったと思う。再び、心がどんよりとする冬の天気のような感覚を思い出した。

手に入れたはずの普通が僕の手から滑り落ちた。
がんになって失った普通。
努力して手に入れた普通。
再発に奪い去られた普通。

さっきも書いたが、僕はがん患者になった人にしかわからない感情があると考えている。そして、再発した人にしかわからない感情があるとも考えている。

僕にとって再発というものは、普通が失われたことであった。あるはずの選択肢、未来が無くなった。すべてが崩れた経験だった。

大学に通いながら治療で地元に戻るという生活が始まったが、少し経って治療に専念するために休学した。やがて復学は不可能だとわかった。

手に入れたはずの普通を失った。

帰郷、新たな普通

冬。休学という片道切符を持って地元に帰った。実家に帰った時、空は晴れていて雪に覆われた山がとても綺麗だった。

主治医と再会した。
「再発」という事実を告げる先生の眼はとても辛そうだった。

今はその理由がわかる。

先生の長い経験の中で「再発」のあと「治った」人が存在しないからだ。また、僕がこれから経験していくことを予見できたからだと思う。

いつもユーモアがある先生。頼もしい先生。ただ、この時は少し人間っぽいところが見えた。

地元に帰ったことは悪いことばかりではなかった。

患者会に入った。
同じ境遇にある患者さんと多く知り合うことができた。同じ経験をした者同士でしか分かり合えない感情があることを知った。

例えば「わかるー」という言葉。
自分の境遇や経験について、他人からこの言葉を言われるとモヤっとすることがある。おそらく、根底には「経験してないくせに何がわかるんだ?」という思いがあるのだと思う。

一方で、同じ経験をした人からの「わかるー」はどこか温度が違う。
生身からくる暖かさがそこにはあり、どうしよもうない現実であっても心が軽くなる気がする。

20代、30代という人生の分岐点でがんになった方々と話し合うだけでも僕の心は軽くなった。

仕事をするようになった。
学生時代はモラトリアムで様々なものが猶予されていて、家でずっと寝ていても罪悪感はなかった。ただ、患者という身になり、学生ではなくなり、社会からのサポートを受けている状況にしばらく置かれていると、徐々に自己肯定感が剥がれていく感覚を覚えた。

不思議なもので、縁あって働くことができた。
難しい仕事ではなかったが、自分が求められていること、対価として何かを受け取るという経験ができた。自分に意義があるとも感じた。

働くということは世間ではネガティブな印象を持たれているが、僕にとっては普通に働くというものの大切さを改めて認識できた経験であった。

第3者に自分の経験を話すようになった。
患者会との接点で、医学生に僕の体験を話した。ハードルが高いと思ったが、改めて振り返ることで、自分の心を整理する時間になった。

時は2月。
冬の北陸はどんよりしているのだが、その時だけはとても晴れていた。

その時から認識を新たにしたことがある。
良くも悪くも、僕は天気というものにジンクスがある。

がんを告知された時
オペが終わった時
再発を知った時
自分の経験を他者に話した時

どれも季節は冬。
そして、北陸にはめずらしい晴れの日だった。

結果として、休学という片道切符で地元に戻った僕は新たな普通を手に入れることができた。

心に陽光が差し込んだ気がした。

でも、その普通も長く続かなかった。

絶望とは希望が形を変えた姿

希望が膨らむほどに、次に訪れる絶望は深く重くのしかかる。

再発という重い事実を抱えながらも、当時の僕は前に進もうとしていた。まだ試してない治療があるはず。何か新しい治療法が開発されているはず。こんな希望を僕は持っていた。

ただ、がんという病気は容易にその希望を打ち砕く。

以前より腫瘍が大きくなった。別の臓器に発生した。こういった事実を知らされる度に、僕は絶望を幾度となく経験した。心が折れた。それでも、前を向いて新しい治療法を探した。

しかしある時、「治療法はもうない。」という現実を主治医からはっきりと知らされた。

希望が絶望に変わった。これまで僕が行ってきた全てを否定されるような感覚だった。自分の中で何かが砕ける音がした。もう修復できないくらいに。

初めて死という現実を突きつけられた。死ぬのが怖くて怖くてたまらなかった。毎日死ぬことの恐怖で頭が埋めつくされ、他のことを考える余裕がなかった。

経験したことのない暗い日々であった。

それまでの僕は前を向いて希望を必死に探していた。でもそれは「死ぬ前に何がしたいか、何をなしたいか」について正面から考えることを拒否していたことの裏返しだったのかもしれない。自分が死ぬという事実を受け入れたくないあまり、先のことを考えまいと意固地になっていたのかもしれない。

受け入れることができないせいで、僕の悩みは「死ぬか否か」で留まり続けていた。死の恐怖を感じながらも、それを受け入れないでいる中途半端な状態は、精神的にもっとも良くない状態なのだと今になって思う。

だが、主治医からはっきり言葉にしてもらい自分が死ぬことを認めることができた。そこから少し楽になった。毎日を楽しむ余裕が戻ってきた。場合によっては宣告によって救われることもあると感じている。

だからこそ、今はただ家族や友人と過ごす時間を大切にしたいと思ってる。

巡る白い季節に

今年も白い季節が巡ってきた。
どんよりとした空、やむことのない雨と雪。

いまの僕にとって、過去の普通はとても遠いものになった。二度と叶うものではない。でもその普通を僕は望んでいるわけではないし、穏やかな時間を過ごせている。

がんになって6年。長いようで短かった。
頑張った。本当に頑張った。これまでの自分に「お疲れ様、よく頑張ったね。」と言いたい。

この病室に時折、陽光が奇跡のように差し込む。今までの僕の頑張りを認めてくれたような暖かさを感じる。

今日は主治医の最後の診察。
天気はいつも通りどんよりしている。しかし、願わくば晴れて欲しかった。

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RyuNishioka_西岡龍一朗
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