短編小説「夕刊」
Z新聞社の整理部・部長の梶原は深いため息をついて席を立った。
月に一度の役員会議に向かうためである。
今日の議題、「夕刊の廃止」を考えると会議室までの足取りは重く感じた。
梶原にとって夕刊はずっと縁があるものだった。
梶原は1969年(昭和44年)2月25日に生まれた。
就職試験では当時、人気企業であったZ新聞社を受けた。
その際、面接官から「君は夕刊の日に生まれているんだね。」と言われてた。どうやら自分の誕生日に初めて夕刊が発行されたらしく、世間ではその日を夕刊の日と呼んでいるらしい。
縁があって、Z新聞社に就職できた。
5年ほど地方の支局で経験を積んだ後、東京本社の整理部に配属された。
整理部とは、個々の記者が書いた記事を見出しをつけたりして最終的に紙面に編集する部署である。
整理部の記者は自分がつけた見出しの出来・不出来によって各記者の集めたネタが左右されるため重大な責任を持つ。一方で、自分の添えた一言で記事が一気に花開くという瞬間もある。
整理部とは料理で例えると料理人である。ネタという素材を活かし美味しくするのが仕事である。
東京本社の整理部に配属された時、夕刊の整理担当になった。
当初、梶原の見出しはデスクに真っ赤になるまで直された。
だが、いつしか良い見出しを書けるようになった。
だんだんと、同僚の記者にも感謝された。
そして、様々なニュース、時には世間を揺るがす大スクープの見出しを書いてきた。
整理部の梶原。と社内では言われるようになり、整理部の部長にまで昇進した。そして今は夕刊の見出しを担当している。
しかし、今や新聞は斜陽産業。オワコンと言われて久しい。
購読者の減少は歯止めがかからない。
そこで、コスト削減のために梶原が所属するZ新聞社は夕刊の廃刊、という決断を今日下すのだ。
梶原は会議室についた。
役員の誰もが一様に重たい顔をしている。
梶原だけではない。誰しも夕刊に思い出がある。夕刊に育ててもらった恩義がある。そして、歴史のある夕刊に対してプライドを持っている。
しかし、誰も目から見ても廃刊以外の道はない。
午後4時。夕暮れともに役員会が始まった。
「では、夕刊の今後についてですが、、」
役員たちは夕刊に別れを告げる覚悟を決めた。
しかし、その時だった。
電話が入った。
「ゆ、夕刊が、か、買い占められています!!!」
役員の誰もが耳を疑った。互いに顔を見合わせた。
電話は続く
「横浜の販売所によると、女性からもっとないのか?と言われ隣の販売所も出動する事態になっています。」
「大阪の販売所によると、夜中に自転車で夕刊を探しまわる男性の姿も報告されています。」
役員室は静まり返った。
夕刊が買い占められているという事態に、誰もが驚きと疑惑で気持ちでいっぱいだった。
それなのに、思わず笑みが溢れた。
決して記事にはできないが、記者なら誰でも喜ぶネタであった。
そして、梶原は自分の仕事に誇らしさを感じた。
会議室の興奮がひと段落し、会議が再開された。
「えーでは、気を取り直しまして。夕刊の今後についてですが、、」
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