【小説】幽霊執事の家カフェ推理 第一話・背徳の煮込みハンバーグ1
やはり引越のタイミングで家電を買い換えるのは便利だ。
自宅から徒歩二分のコンビニで、回収箱に段ボールを差し込みながら塔子は思った。電子レンジも洗濯機も、配線から排水の設置まで業者が全部やってくれるし、長年使った古い方は引き取ってもらえる。
こういうサービスを利用すれば、一人暮らしの女性も、ほとんどのことはできてしまうのだ。
そう、できてしまう。心配ごかしに色々と言ってくる人の指摘の大半は。
密閉されたジャムの瓶は開けられるのかとか、電球が切れたらどうするのとか。
むしろそれくらい対応できないって、どうなんでしょうと問いたい。
社会の流れなのか自分が年を重ねたせいなのか、一時期よりだいぶ減ったけれど、未だに挨拶がわりにこう言う人は一定数いる。
「まだ独身なの?」
事実、そのことについて塔子本人は困っていない。周りの友達もそんなものだ。
ただ他人にそう訊かれることで、むしろ悩まないと、いや悩んでいるふりをして見せないと申し訳ないような気持ちになる。だって、期待されている答えと違うから。
少しだけ気持ちがざわついたのを自覚して、塔子はゆっくりと息をついた。 呼吸が浅いと、思考の巡りも悪くなる。
塔子はもう一度深く呼吸をしてから、新たな城になった建物のエントランスに戻った。1LDKの新築マンションはロビーもコンパクトだが、却って見渡せる安心感があった。数日ではまだ押し慣れない暗証番号で、部屋に入る。
一瞬、部屋を間違えたのかと思った。
玄関に入ると、見知らぬ男がスリッパのすぐ後ろに立っていた。
燕尾ジャケットというのだろうか、黒いそれをきっちり着こんだ若い男。
「お帰りなさいませ。お嬢さま」
ぺこりとお辞儀をして中へ促してくる。自分の家なのに塔子は危うく会釈をして従うところだった。慌てて踏みとどまる。
進み出てきた男は、まるで店員のように見えた。レストランのサービススタッフか、
「執事の霧山でございます」
そう、執事。だいぶ前に流行った映画に出てきそうな。いや、それにしては見た目が洗練されていない。
むしろクラシカルな洋画に出てくる老執事のようなデザインの服だ。あの世界観の中ならともかく、今ここで目にすると野暮ったいとしか言いようがない。
そして明らかに今のオールバックとは違う形に固められた髪。さらに救いようのない、分厚い眼鏡。
その手がコートを脱がせようと肩に触れてきた瞬間、塔子はスマホを取り出した。
警察が来るまでの間、塔子とその男は玄関に突っ立っていた。
「あの・・・」
「黙って。一言もしゃべらないで」
「いえ、その・・・警察をお呼びになられても、わたくしのことは対処されないのではないかと」
「は?」
思わず声が低くなった。女性の家に侵入しておいて脅すのか。
しかし、目の前の男からはそんな雰囲気は感じなかった。
むしろ申し訳なさそうな、困った笑みを浮かべている。
「わたくし、この世のものではございませんので」
そう言われても、寒気一つしなかった。その可能性を検討する余地もない。苛立ちを隠せずに塔子は言った。
「いや、ごめん。生きてるよね」
彼は律儀に腰を折って答えた。
「とんでもないことでございます」
「・・・じゃあ何、お化けだとでも?」
「左様でございます。わたくしは、その・・・一九三〇年代にはすでに」
「ああ、もういい。やっぱりいいです」
塔子はこの自称・幽霊男を早く視界から消し去りたかった。彼の言葉を手で遮り、ただ早く警察が来ないかと考えていた。
警察官が来ても、男の態度は変わらなかった。礼儀正しく塔子の側に控えている。
警察官は、ちらりと塔子を見た。まるでこちらが言いがかりをつけているとでも言いたげなその目線に、ますます頭が熱くなるのを感じた。
この世のものではない?あり得ない。ここは新築だ。幽霊など出るはずがない。
そもそもこの警察官にだって、普通に見えているではないか。
塔子はやっとこの男が何者であるか、具体的に考え始めた。空き巣の常習犯なのだろうか。それとも独身女性を狙った詐欺師か。
いずれにしても幽霊だなんて、もう少しましな言い訳があるだろう。
しかし、塔子がコンビニに出ていたのはほんの二、三分。
その間にオートロックが二重の、それも五階の部屋に侵入できるとは考えにくい。
だが、他に現実的な可能性が思いつかなかった。
どう見ても、管理業者ではない。まさか派遣執事が、入居者へのサービスということもないだろう。
塔子の気に圧されてか、警察官はとりあえずといった風で事務的に男に手首の提示を求めた。この国は静脈で人間を管理しているから、これで何者か、すぐにわかるはずだ。
男は素直に従った。不思議そうに機械を見ているのが、意味なく塔子の気に障った。
が、マシンの表示は「手をかざしてください」のまま変わらない。何十秒たっても。
警察官は首をひねり、もう一度と男を促した。男は、あのとか、それはとか、モゴモゴ言っていたが、申し訳なさそうに手をかざした。
結果は、同じ。マシンを再起動してもう一度試しても、同じ。
警察官はチラチラと、マシンと男を見比べた。
男はもどかしそうに口を開いた。
「あの・・・誠に申し訳ございませんが」
困った顔でぺこりとお辞儀をし、それから、消えた。
塔子は首を動かすこともできなかった。男が消えた場所を同じ姿勢のまま見ていた。
警察官が視界の端で、よろよろと後ずさりしていく。
「あ、あ、あ・・・」
今にも腰を抜かしそうな様子だった。
しかし我にかえった塔子と目が合うと、
「あの、これは・・・空き巣や強盗ではないようですね」
ぼそぼそと細い声で言いだした。それが塔子に向いているのか、内に向いているのかわからない。
「いや、あの、現時点で実害もないことですし・・・ないんですよね?いや、それでしたら、これ以上はこちらとしましても」
確かに、容疑者が文字通り消えてしまえばどうしようもない。だが警察官がそう言ったのは、そのもっともな理由より、明らかに関わりたくないからのようだった。
ろくに挨拶もせず、振り返ることもなく出て行く姿を、塔子は唖然と見送った。しかしもう一度警察に電話して抗議する気力は抜かれていた。
それは警察官のせいというより、
「おわかりいただけましたか?」
「わ!」
この男のせいだった。さっきと全く同じピシッとした姿勢で立っている。
そして妙に好感度の高い、柔らかな声。動画広告のナレーターで使ったら、なかなかいいとさえ思う。
そう考えてから塔子は、この状況で仕事を思い出した自分に呆れた。
自称・幽霊は変わらず、穏やかな笑みを塔子に向けていた。どう見ても人間だ。
「いや、ごめん。・・・生きてるよね」
彼はさっきと同じ抑揚で答えた。
「とんでもないことでございます」
執事服もコスプレとしか思えない。ただ、その古いデザインに加えて、髪型も眼鏡も、時代遅れというより、時代が違う。若い本人に全く似合っていない。そこがコスプレにしては妙ではある。
「ともかく、中へお入りください。お風邪を召しますので」
自分の家なのだが恭しく迎えられ、塔子はようやく靴を脱いだ。
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