見出し画像

ビートルズ『アビーロード』に見るアルバム制作秘話とジョージ・ハリスンの躍進-前編-ポールとの友情を通して

ビートルズの事実上のラストアルバムであり最高傑作のひとつとされる『アビーロード(Abbey Road)』。このアルバムでは、ジョージ・ハリスンのソングライターとしての才能がついに開花し、「Something」や「Here Comes The Sun」といった名曲が生まれました。

しかし、その裏には、バンド内の緊張や葛藤がありながらも、ポール・マッカートニーとの友情が大きな役割を果たしていたことをご存知でしょうか?

本記事では、『アビーロード』の制作秘話、ジョージの成長、そしてポールとの関係に焦点を当てて掘り下げていきます。

Abbey Road

アルバム制作のきっかけ:ポールの提案とジョージ・マーティンの条件


『アビーロード』の制作前、ビートルズは『ゲット・バック・セッション』(後の『レット・イット・ビー』)でバンド内の対立が激化し、崩壊寸前の状態でした。そんな中、ポールが「もう一度、しっかりとしたアルバムを作ろう」と提案します。

この提案に対し、プロデューサーのジョージ・マーティンは、「ジョンも本気で取り組むなら協力する」と応じました。ジョンは当初消極的でしたが、最終的にはアルバム制作に参加することを決意。こうして、ビートルズ最後のまとまりを見せる作品が生まれることになります。

「Something」の誕生──ジョージを支えたポールの言葉


『アビーロード』に収録された「Something」は、ジョージ・ハリスンの最高傑作のひとつであり、フランク・シナトラが「20世紀最高のラブソング」と称賛したほどの名曲です。

グラミー賞9回受賞のジャズシンガー
フランク・シナトラ


しかし、ジョージ自身はこの曲の出来に不安を抱えていました。バンド内での彼の楽曲の扱いは軽視されがちで、「自分の曲が本当に認められるのか?」という疑念があったのです。そんなジョージを励ましたのが、ポール・マッカートニーでした。

ポールは、「Something」は素晴らしい曲であり、絶対に仕上げるべきだとジョージを勇気づけました。ポール自身もこの曲に強く共感し、積極的にサポートを行ったのです。

ポールの本気が表れた「Something」のベースライン


「Something」のベースラインは、ポールの卓越したセンスが光る名演です。


この曲のベースは単なるリズムの土台ではなく、メロディックに動き、まるで歌うようなフレーズが展開されます。特にサビの部分の滑らかなベースラインや、Aメロでのうねるような動きは、曲全体に深みを加えています。

ポールには「ジョージの曲では特に頑張る」という傾向があり『ホワイト・アルバム』の「While My Guitar Gently Weeps」でもメロディックなベースラインを構築し楽曲に豊かな表情を与えています。「Something」でもその姿勢は変わらず、ジョージの楽曲を最大限に引き立てるため情熱を注いだのでした。これは単なる義務感ではなく、ジョージの才能を心から認めていた証拠でしょう。

ポールとジョージの友情:衝突と絆


ビートルズ後期、バンド内の緊張が高まる中で、ポールとジョージの関係も決して順調ではありませんでした。

『レット・イット・ビー』のセッションでは、ポールがジョージに細かい指示を出し、ジョージが「どう弾けばいいのか全部言ってよ」と不満を漏らす場面もありました。このやり取りは、バンドのドキュメンタリー映像にも残されており、当時の関係の難しさを象徴しています。

しかし、その一方で、音楽を通じて二人の間には確かな絆がありました。ビートルズ解散後も、ポールはジョージの才能を深く尊敬し2001年にジョージが亡くなった際も「彼は僕の弟だった」と語りその絆の深さを改めて示したのでした...

『アビーロード』が証明したジョージの躍進とポールのサポート


『アビーロード』は、ビートルズの集大成であり、ジョージ・ハリスンの才能が最も輝いた作品でした。そして、その陰にはポール・マッカートニーの支えがあったのです

『アビーロード』を聴くときは、ジョージの躍進とともに、それを支えたポールの存在にも注目してみると、さらに深く楽しめるかもしれません。

ビートルズは単なる才能の集まりではなく、メンバー同士が互いに影響を与え、高め合う関係性の中で名曲を生み出していたのです。

いかがでしたか?
『アビーロード』を改めて聴きながら、ジョージとポールの友情に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

いいなと思ったら応援しよう!